歴代総理の胆力「三木武夫」(2)群を抜く屈指の「ねばり腰」 (2/2ページ)
そのうえで、間もなく「反三木」感情がピークに達し、公然の倒閣運動に転じたのが第三弾ということだった。
この間、少数派閥で“孤軍奮闘”の三木はそれでも「ねばり腰」を発揮、ついには任期満了の衆院選を仕切って挽回を策した。しかし、選挙は敗北、刀折れ、矢尽きた感の中で、選挙敗北の責任を取る形でようやく辞意表明をしたということだった。
こうした三木の恐るべき「したたかさ」「ねばり腰」を支えたのは、じつは「昭和電工」創業者・森矗昶(のぶてる)の二女で夫人の三木睦子(むつこ)であった。
「睦子がオチンチンをつけて生まれていたら、間違いなく三木より先に総理大臣になっていただろう」との声が高かったほどの、飛び切りの「女丈夫」だったのである。
■三木武夫の略歴
明治40(1907)年3月17日、徳島県生まれ。アメリカ留学を経て、明治大学法科卒業。昭和12(1937)年4月、衆議院議員初当選。昭和49(1974)年12月、田中退陣を受け「椎名裁定」で自民党総裁、三木内閣組織。総理就任時67歳。昭和63(1988)年11月14日、81歳で死去。
総理大臣歴:第66代1974年12月9日~1976年12月24日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。