プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ダスティ・ローデス」NWA王座を3度戴冠した“アメリカン・ドリーム” (2/3ページ)
ただしローデスの人気が、元NWA王者という肩書によるものだけではなかったことも確かである。
同じく元NWA王者としては、ローデスと同じ’79年の4月にジャック・ブリスコも新日に参戦して、猪木のNWF王座に挑戦している。もっと前にはルー・テーズもいたが、こちらの2人はローデスほどファンから歓迎を受けていない。
「そこはやはり、ローデスの持つトップスターのオーラや華やかさがあってのこと。どこか陰気なブリスコや老いたテーズよりも、ローデスの明るさをファンは支持したわけです」(同)
’79年に山口百恵が引退し、その翌年に松田聖子がデビュー。さらには映画『スター・ウォーズ』が大ヒットし、’81年からは漫才ブームが巻き起こる。良くも悪くも軽薄志向の時代の空気が、ローデスを後押ししたところもあっただろう。
★アメリカ南部の荒くれ者を体現
「とはいえ、ジャイアント馬場が『ローデスの腰振りがなんでアメリカでウケるのか分からない』とくさしたように、日本のファンが“アメリカン・ドリーム”と呼ばれたローデスの本質まで、分かっていたとは思えません」(同)
貧乏な家庭に育ちながら腕っぷし一つでのし上がり、南部の荒くれ者風のファイトで、気取った奴らの鼻っ柱にエルボーを叩き込む。
豪華絢爛なコスチュームで登場しながらも、どこかそれが似合わず、マイクを使ったパフォーマンスでは田舎者丸出しの南部なまりでまくし立てる愛らしさ。
こうしたローデスのスタイルがウケる下地には、アメリカ特有の南北問題や経済格差、人種問題があったわけで、そこを異文化の人間が正しく理解するのは難しい。
「3度もNWA王座に就きながら、いずれも短期間。そうしてみるとローデスは、アメリカ限定の一種のローカルチャンプと言えるのかもしれません」(同)
’81年にローデスが2度目の王座に就いていたとき、全日が“NWA王者のシリーズ参戦”を発表したことがあった。
NWA王者の全日参戦は半ば契約上の義務のようなものであったが、引き抜き合戦が繰り広げられていたさなかに新日常連となっていたローデスの場合、全日に再び参戦となれば、そのインパクトは大きかったはずだ。