プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ダスティ・ローデス」NWA王座を3度戴冠した“アメリカン・ドリーム” (1/3ページ)

週刊実話

 NWA世界ヘビー級王座に就くこと3回、タッグでもディック・マードックとのテキサス・アウトローズで全米を股にかけて暴れ回ったダスティ・ローデス。
 日本においても1971年、国際プロレスへの初来日を手始めに、全日本プロレス、新日本プロレスでもトップ戦線で活躍した。

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 1979年、ダスティ・ローデスは新日本プロレスに初参戦した。

 入場時からの観客へのアピールや試合中の尻振りダンスなど、どこかコミカルなローデスのアメリカンプロレスと、ストロングスタイルを標榜する当時の新日では水と油かと思われたが、リングに上がったローデスは大喝采で迎えられた。

 翌年の第3回MSGシリーズでは、シード選手として決勝リーグに登場。アメリカでも見られないアンドレ・ザ・ジャイアントやスタン・ハンセンとの夢のカードが実現すると、むしろローデスのほうが歓声を集めたほどであった。

 猪木は常々、アメリカンプロレスをショーマンスタイルと否定的に語り、「われわれはそれとは違うストロングスタイルだ」と主張してきた。

 多くの新日ファンもそうした言葉に感化され、「ショーマンスタイルの全日では物足りない」などと言っていたにもかかわらず、なぜ、ローデスは受け入れられたのか。ローデスのパフォーマンスが猪木信者の排他的な考えを覆すほどに、神懸かっていたというわけでもなさそうだが…。

「結局、猪木も新日ファンもどこか負け惜しみとでも言いますか、アメリカのトップスターが来ることはないという諦めの気持ちから、アメリカンプロレスを否定していたところがあったのでしょう」(プロレスライター)

 ところが、来日直前までNWA世界ヘビー級王者だったローデスが、ついに新日マットにやって来た(’79年8月にハーリー・レイスを破って第53代王者になるも5日後のリターンマッチで敗戦)。

「縁がないと思っていたトップ中のトップの参戦に、ファンも舞い上がったといいますか、子供が予期せぬプレゼントをもらったような格別の喜びがあったのでは」(同)

 猪木もそのあたりは柔軟で、ローデスへの観客の反応がいいと見るや、自らタッグを結成したりもした。

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