痛々しいけど愛おしい♡室町時代の中二病文学「閑吟集」より特選14首を紹介【上】
「何せうぞ くすんで 一期は夢ぞ ただ狂へ」
【意訳】しょせん一睡の夢に過ぎぬこの浮世で、こざかしく立ち回って何になる。心の命じるまま死ぬ気で生きて、「常識の向こう側」へ突き抜けろ!
このフレーズで有名な『閑吟集(かんぎんしゅう)』は、室町末期から戦国初期にかけて成立した、当時の流行歌集です。
新元号「令和」の典拠として注目を集めた奈良時代の『万葉集(まんようしゅう)』は、素朴でのびやかな歌風から「日本の青春文学」と呼ばれることがありますが、それに倣えば『閑吟集』は、さしずめ「日本の中二病文学」と言ったところでしょうか。
今回はそんな『閑吟集』の魅力を表した特選14首を紹介したいと思います。
「中二病」文学を生み出した、室町末期の過酷な暮らしと人々の鬱屈その前に、なぜ『閑吟集』が中二病となったのか、成立の背景となった社会状況などをごくざっくりと紹介しておきます。
時は室町末期、幕府の権威も形骸化しつつあり、社会秩序の破綻と崩壊を反映するように、和歌のあり方も既成の形式作法から逸脱。美意識の新たな可能性を求めて足掻きもがいているかのような蠢動を見せていました。
それは自我の確立しきっていない思春期の青少年が、自分の特異性を主張するように常識を否定し、社会規範からの逸脱を図ろうとする「中二病」そのもの。
歌道の文化が成熟し、様式が確立された現代の視点からすれば「痛々しい」「幼稚」とも思われるかも知れませんが、現代に至るまでにはそうした苦悩や葛藤の歴史があったことを知り、先人たちに思いを寄せるだけでも、日本文化に対する理解がより深まるのではないでしょうか。
過酷な暮らしの中を這いつくばって生きていた人々が、その鬱屈した感情を和歌に詠むことで、明日への活力を見出していた……『閑吟集』は、そんな情景を偲ぶ縁(よすが)となるでしょう。
1、な見さいそ な見さいそ 人の推(すい)する な見さいそ【意訳】あまり見ないで、私たちの関係を知られてしまうから、あまり見ないで……
「な~そ」とは禁止の意味で、繰り返し使うことで自分たちの関係が公然となってしまうことへの恐れが表現されています。
これに対する次(男)の歌は
思ふ方へこそ 目も行き 顔も振らるれ
【意訳】どんなに隠したって、私はあなたを好きなんだから視線も顔も向いてしまうのはしょうがないよ。
……と、悪びれる様子もありません。「バレたらその時はその時」と開き直っているのか、あるいはわざとバラす事で、一夜限りの筈だった交わりを既成事実にしてやろうと目論んでいるのかも知れません。
2、世の中は ちろりに過ぐる ちろりちろり【意訳】世の中みんな、チョロチョロとせせこましいモンだぜ(≠俺は違う)。
「ちろり」とは、ネズミがチョロチョロするようなせせこましさを表しているのか、あるいは人生などチョロいものさ、と嘯いているのでしょうか。
この作者の、世の中をナメていると言うか、斜に構えた感じがいかにも「中二病」感たっぷりです。
3、夢幻や 南無三宝(なむさんぽう)【意訳】この世の中が夢、幻のようなものと知ってしまった。仏の教えにすがることで、この虚無感から救われるだろうか。
【意訳その2】元から夢、幻みたいな三宝にすがろうなんて、お前はバカか?(笑)
南無(なむ)とは南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経のように「私をお救い下さい」の意味で、三宝(さんぽう)とは仏・法・僧(ぶっぽうそう)、すなわち仏とその教え(法)、そして救いへと導いて下さる僧侶を意味します。
多くの人々にとって救いの縁(よすが)となる三宝が夢幻とあっては、一体何に救いを求めればいいのか……そんな動転ぶりと、それを嘲り笑う「中二病」ぶりが併せ詠まれた一首です。
4、やれ 面白や えん 京には車 やれ 淀に舟 えん 桂の里の鵜飼舟よ「やれ」と「えん」は囃し立てる掛け声。京都近郊の名物をテンポよく並べた一首です。
京の都には牛車が行き交い、淀川(よどがわ)にはたくさんの舟、そして桂川(かつらがわ)の鵜飼……ただそれだけの内容ではあるのですが、こうした風景が多くの人々から愛されていたのでしょう。
もちろん、京の都にはもっとたくさんの名所・名物がありますから、そうした歌も多く詠まれていたものと思われます。
5、仰る闇の夜 仰る仰る闇の夜 つきもないことを【意訳】あなたは「闇の夜に逢おう」と仰(おしや)るけれど、何度も何度も仰るけれど、月もないので逢えません。
仰るを「おしやる」と変化させると、現代語の「おっしゃる」に比べて、語感がちょっとガサツでつっけんどんな印象。
下心むき出しの無粋な男が「闇夜に逢おうよ、逢おうよハァハァ」としつこく押しやり(仰り)迫って来るのを、うんざりしながらあしらう女性の表情が目に浮かぶようです。
また、「つきもない」には「とんでもない」「不相応な」という意味もあり、「この下郎め、私に相応しい相手かどうか、鏡を見てから出直していらっしゃい」というメッセージも込められています。
……さて、ちょっと長くなってしまったので、続きはまた次回とさせて頂きます。
【続く】
※参考文献:
浅野建二 校注『新訂 閑吟集』岩波文庫、1989年10月16日
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