美女って記録にあるのに!鎌倉時代の女武者・坂額御前が醜女キャラに設定されてしまったのはなぜ?【上】 (4/4ページ)

Japaaan

【原文】
(前略)……時于(ときに)金吾(きんご)、件の女の面貌宜しきに似たりと雖も、心之武(こころのたけき)を思はば、誰か愛念を遺さん哉(や)……(後略)
※『吾妻鏡』建仁元年6月29日条。

【意訳】
(義遠が坂額御前を妻に求めた時、)金吾=頼家は「あやつは確かに見た目は美しいが、あぁ気性が荒くては、誰も欲しがりはするまいよ」と(馬鹿にして)言った。

しかし、心の中はどうあれ美女であったことには変わりがなく、義遠は坂額御前を妻にして甲斐国へ連れ帰り、仲睦まじく暮らしたそうです。

それなのに、どういう誤解によって醜女キャラにされてしまったのでしょうか。

【続く】

※参考文献:
貴志正造『全譯 吾妻鏡 第三巻』新人物往来社、2011年11月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「美女って記録にあるのに!鎌倉時代の女武者・坂額御前が醜女キャラに設定されてしまったのはなぜ?【上】」のページです。デイリーニュースオンラインは、坂額御前吾妻鏡女武者鎌倉時代武士カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る