美女って記録にあるのに!鎌倉時代の女武者・坂額御前が醜女キャラに設定されてしまったのはなぜ?【上】 (3/4ページ)

Japaaan

【原文】
(前略)……凡(およ)そ勇力之丈夫(ゆうりきのじょうふ)を比べると雖(いえど)も、敢て對揚(たいよう)を耻(はず)る不可粧(べからざるのよそおい)也。
但し、顔色に於ては殆んど陵薗(りょうえん)の妾(しょう)に配す可(べ)しと云々。
※『吾妻鏡』建仁元年6月28日条。

【意訳】
(彼女の態度は)腕自慢の武者たちと比べても見劣りしない堂々としたものであったが、その容姿は陵薗の妾にも相応しい美しさであった……。

この「陵薗の妾」とは、古代中国において皇帝の墓陵に監禁し、その祖霊に奉仕させる刑罰およびその受刑者を指し、その対象は美女に限られたそうです(皇帝のほとんどは男性ですから、霊とは言え美女が良かったのでしょう)。

多くの場合、滅ぼされた王朝の貴婦人に対して課せられた事から「哀れな囚われの美女」の代名詞とされました。まさに捕らわれた坂額御前の境遇を表わすのに相応しい言葉でしょう。

坂額御前を妻に娶った浅利与一義遠。

また、そんな坂額御前を「妻にしたい」と申し出た甲斐国(現:山梨県)の御家人・浅利与一義遠(あさりの よいちよしとお)に対して、将軍・源頼家(みなもとの よりいえ)はこんな事を言っています。

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