鎌倉時代の女武者・坂額御前が”醜女キャラ”設定されてしまったのはなぜ?【下】 (2/4ページ)

Japaaan

揚州周延「粟津原合戰 畠山重忠 勇婦巴女」明治時代

源平合戦における悲劇の英雄・木曾義仲(きその よしなか)の愛妾(諸説あり)として常に寄り添いながら、馬上から薙刀を振るって戦場を駆け抜けた美しき女武者は、坂額御前とほぼ同時期(※)に活躍したため、後に女武者の代表的存在として「巴坂額(ともえ はんがく)」と並び称されることもあります。

(※)と言っても、坂額御前の活動時期が建仁元1201年、巴御前は治承四1180年~寿永三1184年と20年近い差がありますが、「平安・鎌倉期の武士」として大まかにカテゴライズされたのでしょう。

巴御前と坂額御前……当初は「どちらも美しかった」と伝えられていたのでしょうが、やがて後世の人間が、彼女たちを題材とした物語を創作するに当たって「キャラ被り」を気にしたのかも知れません。

「どちらも美女」より、美女と醜女の「凸凹コンビ」の方がストーリーを作りやすそうですし、近づきがたい美女ばかりより、醜女キャラもいることで感情移入しやすいでしょう。

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