血の涙を流して息子への手紙を書いた。浄土宗の礎となった「源信和尚」の母の愛 (4/4ページ)

Japaaan

母は源信の説法を聴き、阿弥陀如来に救われて72歳で往生を遂げたと伝えられています。

『往生要集』の編纂

絹本著色六道絵(滋賀県 聖衆来迎寺所蔵)ウィキペディアより

寛和元年(985年)、源信は浄土教の観点より、多くの仏教の経典や書物などから“極楽往生”に関する重要な文章を集めた『往生要集』を編纂しました。

『往生要集』は死後「極楽浄土」に至るためには、一心に仏を想い念仏を唱える以外に方法はないと説き、のちの“浄土宗”“浄土真宗”が生まれる礎となりました。

また地獄・極楽の概念や意味を説き、それはやがて貴族や庶民へと浸透し、仏教信仰という面だけではなく、のちの文学美術世界にも多大なる影響を与える事となりました。

そして『往生要集』に記述された「地獄」に基づいて、大衆教化として多くの地獄絵(六道絵)が描かれるようになりました。現在、私たちが「地獄」と聞いてイメージする世界は、実はこの『往生要集』に記述された地獄そのものなのです。

国中に末法思想が広がったこの時代に、源信は厳しい修行をしなければ救われないという天台宗の僧侶でありながら、一心に仏を信じ念仏を唱えればどんな人であろうとも全ての人が救われるという境地へとたどり着いたのでした。

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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