ぜんぶ読める?求肥、羊羹、素甘、外郎…和菓子の謎ネーミングの由来 (2/2ページ)
主に関東以北で食べられており、紅白で作られ縁起物として「寿」の漢字をあて「寿甘」と表記することもあります。また楕円形に成型した物は卵に似ていることから「鶴の子餅」とも呼ばれます。
上新粉と砂糖を使った控えめな甘さなので、「薄甘い」が転じて「すあま」になったという説がありますが定かでははありません。
外郎(ういろう)と混同されることがありますが、外郎は蒸すのに対し、素甘はついて成型します。
外郎(ういろう)漢字をそのまま読むと、「げろう」などと読んでしまいそうですよね。なぜ「ういろう」なのでしょうか。
そもそもは、室町時代に中国からもたらされた痰を切るための丸薬が始まり。
南北朝時代の1368年、元朝に仕えていた医師の陳宗敬という方が、元の滅亡とともに日本の博多に逃れてきて、そのまま帰化しました。そのとき、役職名であった礼部員外郎(れいぶいんがいろう)の読みを「ういろう」に変え、家名とすることになります。
その後宗敬の息子の大年宗奇(たいねんそうき)が、将軍・足利義満に招かれ薬を献上し、京都で製造するようになります。その薬は時の天皇から「透頂香」と名を賜りますが、一般的には外郎家の造る薬なのでただ単に「ういろう」と呼ばれたようです。
そして大年宗奇が考案した接待の際に提供したお菓子も評判となり、「お菓子のういろう」として定着していったということです。
外郎といえば関東の方には小田原の外郎も有名ですが、これは外郎家の末裔が小田原に移り住んだからで、宗敬が在住した福岡市の妙楽寺には「ういろう伝来之地」の石碑が建立されています。
現在ではお菓子の外郎のほうが全国的に有名になった感はありますが、薬の外郎も600年の製法を守り受け継がれています。
参考
ういろう 素甘 – Yahoo!百科事典日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan