かつて日本では桜よりも梅が人気だった時代もあった ー 日本人と花見の文化2 (2/2ページ)
平安初期に書かれた歌物語『伊勢物語』には、「世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」と詠われていたり、平安末期の僧・西行には「願わくば 花の下にて春死なん そのきさらぎの 望月のころ」と詠い、実際その通りに亡くなったと伝えられています。
またこの時代あたりから、朝廷内の権力争いに敗れた自分を散る桜に例える歌も目立つようになるなど、諸行無常の思いと桜とを重ねる歌人も多くなってきました。
江戸時代になると、桜の植樹が全国で進み、花見という風習も庶民の間で広く行われるようになりました。現在、桜の代名詞ともなっているソメイヨシノが誕生したのもこの時代のことです。
さまざまな桜がかけ合わせられ、色合いや咲き方が見事な品種として作り出されたのです。この桜の品種改良を行った植木職人たちが暮らす染井村(現在の東京都駒込周辺)と桜の名所として名高い奈良県吉野山、二つの地名を取って、ソメイヨシノと命名されました。
ソメイヨシノは、明治時代に爆発的な人気を得、各地で植樹が進みました。明治以降に人気が出て植樹が進みました。
参考
小川 和佑 『桜文化と日本人』(2011 竹林館) 小林 祥次郎 『梅と日本人』(2008 勉誠出版)日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
