むっちゃカッコいい苗字!明智光秀の家臣・四王天政孝&政実兄弟の武勇伝【上】 (2/3ページ)

Japaaan

詳細な記録は不明ですが、きっと承久の乱(承久三1221年)では土御門天皇の父・後鳥羽上皇方に与し、一族を挙げて武勇を奮った事でしょう。

そんな祖先の生き方が遺伝子に刻まれたのか、三百年以上の歳月を越えた戦国時代の四王天政孝・政実兄弟も主君である明智光秀(あけち みつひで)に忠義を尽くし、大いに活躍したのでした。

明智光秀の丹波攻めに従軍

四王天政考&政実兄弟(※父子という説もあり)が明智光秀に仕えたのは天正三1575年、光秀が織田信長(おだ のぶなが)の命によって丹波国(現:京都府中部および兵庫県北東部)に攻め込んだ時のことでした。

当時、丹波国は波多野右衛門大夫秀治(はたの うゑもんのたいふひではる)が支配しており、氷上郡柏原庄平井村(現:兵庫県丹波市)を治めていた四王天兄弟は、反・波多野派の小領主として光秀に期待を託したのでしょう。

(※祖先は坂東で勢力を伸ばしていたのに、紆余曲折の末こっちに土着したようです)

歌川国芳「太平記英勇傳二十九 四王連(四王天)左可馬頭政高(政孝)」

「明智様、それがし四王天又兵衛(またべゑ)と申しまする。右衛門大夫(=秀治)を討ち平らげる先鋒として、膝下にお加え下され!」

「おぉ、四天王が二人も加わるとは頼もしや。

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