歴代総理の胆力「中曽根康弘」(1)評価が分かれた大統領型リーダーシップ (2/2ページ)

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 しかし、一方で「プラザ合意」によってバブル経済を呼び込み、目指すべき「国際国家としての日本」を経済面で逆に「国際国家」から引きずりおろす結果を招いた。自民党は政権末期に時の伊東正義政調会長のもとで「緊急土地対策」を打ち出し、ようやくバブルにはブレーキがかかったが、時すでに遅かった。

 なぜならば、バブル経済により新しい建造物が乱立、旧来の伝統的な建物、街道が破壊され、人心の軽薄さと乱れを招いたからにほかならなかったからであった。

「鋭い歴史感覚による高邁な政治論、教育論、文化論で定評のあった中曽根だったが、内政の評価は低い。言うならば、標榜した大統領型“トップダウン”のリーダーシップに、自民党内が一致して従う態勢になかったことが大きかった。中曽根一流のパフォーマンスに世論は拍手だったが、とかく自民党内の政権運営の評価は低かった」(自民党ベテラン議員)ということである。

 しかし、その中曽根は多くの政権が追われるが如くで退陣するのとは異なり、余力を残した形でまずは約5年の政権をまっとうしてみせた。

 政権発足当時は、田中角栄の支持を得て総裁選を勝ち上がったことから、その影響をモロに受ける政権として「田中曽根内閣」「直角内閣」などともヤユされた。しかし、政権の後半に田中が病魔に倒れたことで、“自立”した政権の片鱗を見せ始めた。

 先に触れたように、バブル経済へのブレーキに、田中の進めた政策にブレーキをかけるような「緊急土地対策」を持ち出したのも好例と言えたのだった。

■中曽根康弘の略歴

大正7(1918)年5月27日、群馬県生まれ。東京帝国大学法学部から内務省入省。海軍主計主査。警視庁警視などを経て退職。昭和22(1947)年民主党から衆議院議員初当選。昭和57(1982)年11月、内閣組織。総理就任時64歳。令和元(2019)年11月29日老衰のため死去。享年101。

総理大臣歴:第71~73代 1982年11月27日~1987年11月6日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

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