歴代総理の胆力「中曽根康弘」(1)評価が分かれた大統領型リーダーシップ (1/2ページ)

アサ芸プラス

歴代総理の胆力「中曽根康弘」(1)評価が分かれた大統領型リーダーシップ

 中曽根康弘政権は「戦後政治の総決算」を掲げた本格政権でもあったが、『構え』の大きさの割には実績評価は分かれている。とくに、5年にわたった政権に国民人気は高かったものの、退陣後の永田町とりわけ自民党内の評価は二分されていたものだった。

 中曽根は若くして国政にたずさわると、この時点で狙いは天下取りであることを公言するほどの権力志向型政治家である一方、そこへ辿りつくまでの足跡は、「風見鶏」との異名があったほどパフォーマンスに満ちていた。

 こうした中曽根のリーダーシップ、「胆力」については、昨年11月29日に101歳で他界したのちの本連載の“特別編”として触れたものだが、ここでは政権としての実績の中からそれを読み取ってみたい。

 まず、外交面。中曽根は総理大臣に就任すると、「日米は運命共同体。一蓮托生」「日本を対ソ不沈空母にする」と口にしたが、なるほど対米関係に大きな比重を置いた。時のレーガン大統領とは「ロン」「ヤス」とファースト・ネームで呼び合うなどの親密な関係を築き、サミットの主役も務めるなどで、西側陣営の発言力確保にも腐心した。

 しかし、中曽根首相が退陣した後、自民党ベテラン議員からは、次のような声も出たのだった。

「“中曽根外交”は冷戦時代の対ソ戦略をにらみながらのものだったが、米戦略防衛構想(SDI)への研究参加、防衛費の当時の国民総生産(GNP)比1%枠突破を進めたが、目指していた『国際国家としての日本』にはイマイチの成果だった。レーガン米大統領の世界戦略からは、はずれていた。

 また、その対応いかんでは日本、ソ連(現・ロシア)、韓国間で抜き差しならぬ不測の事態に発展する危機にあった大韓航空機撃墜事件でも、当時の後藤田正晴官房長官の沈着、冷静な危機管理の力量に助けられた感があった。あのときの中曽根自身のリーダーシップはとなると、見えてこなかった」

 こうした外交に比して、内政への評価は厳しいものが多かった。それは例えば、次のような点が指摘された。

 前任の鈴木(善幸)政権が手をつけた「第2臨調」を活用、日本電電公社、日本専売公社、日本国有鉄道の3公社の分割民営化、あるいは規制緩和を進め、国債の依存度を下げることなどには、一応は成功した。

「歴代総理の胆力「中曽根康弘」(1)評価が分かれた大統領型リーダーシップ」のページです。デイリーニュースオンラインは、内閣総理大臣中曽根康弘小林吉弥ロナルド・レーガン田中角栄社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧