歴代総理の胆力「中曽根康弘」(2)退陣後に15年間議員の異例

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歴代総理の胆力「中曽根康弘」(2)退陣後に15年間議員の異例

 退陣を決意した中曽根は、後継に竹下登を指名した。安倍晋太郎(安倍晋三総理の父)、宮沢喜一(のちに総理)も候補とされたが、3者の中で最も自民党内がまとまりやすいとの理由で竹下を選択したということであった。同時に、竹下が順調な政権運営を続ければ、「院政」までは望まなくも、自らの政治生命は安泰という“秤”にかけた深謀も憶測できた。

 案の定、中曽根は退陣後、異例の15年間の長きにわたり、党長老として議員バッジを付け続けている。この間、「国家アドバイザー」としての自負も発揮、さまざまな提言、直言をして存在感を示し続けたものであった。

 しかし、平成15(2003)年11月の総選挙で、「高齢」(85歳)を理由に当時の小泉純一郎総理の決断で党公認から外され、苦渋の政界引退を余儀なくされてしまった。引退後、中曽根は小泉に対し、以下のような“恨み節”を連発したものだった。

「年寄りは引っ込めという安易なポピュリズムは、民衆迎合のにおいを感じる」としたほか、平成16年9月の改造人事に際して「自分の知っている人間や好みの人を集めた“小泉商店”で、株式会社ではない」「小泉くんは“変人”から、ついに“愚人”になってしまったのではないか」といった具合。暗にこんなことで国家運営ができるワケがないと、切り捨てたということのようであった。

 そのうえで、中曽根はこうも言っていた。

「宰相の条件とは、国境を越える人類愛を持ち、あふるるばかりの同胞愛と愛国心、見識と人材活用の能力を備え、さらに敵千万人といえども我行かんという指導力と実行力を備えた人である」

 歴代総理のなかでも、功罪を含め、平均点の出しにくい政治家の一人ではあった。

■中曽根康弘の略歴

大正7(1918)年5月27日、群馬県生まれ。東京帝国大学法学部から内務省入省。海軍主計主査。警視庁警視などを経て退職。昭和22(1947)年民主党から衆議院議員初当選。昭和57(1982)年11月、内閣組織。総理就任時64歳。令和元(2019)年11月29日老衰のため死去。享年101。

総理大臣歴:第71~73代 1982年11月27日~1987年11月6日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

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