科学と宗教は水と油?偉大な科学者は有神論者?科学と宗教の距離感 (4/5ページ)

心に残る家族葬

神道はまさにそうした自然信仰そのものであったし、仏教も空海(774〜835 )が壮大なコスモロジー(宇宙論)や言語哲学を構築したものの、その後はシンプルな念仏(浄土系)や禅(禅宗系)に移行した。これらの史実は日本人が宇宙の仕組みなどに関心を持てなかったことを表している。以心伝心という言葉もそうした心性を表から生まれたものだろう。

■科学と宗教の分離が悪いわけではない

それはそれで特段悪いことではない。神が宇宙の秩序を形成する一神教と、万物に神が偏在する多神教の違いなど、思考の形式の違いというだけである。しかし日本は西洋文化の流入による近代科学の洗礼を浴びると、それまでの宗教観が揺らぐことになる。日本(並びに東洋)は近代科学から宗教(キリスト教)を切り捨てて輸入し、無宗教的唯物論的に捉え、かつ古来よりの仏教・神道・儒教などの宗教世界を遠ざけてしまった。科学と宗教を分離した結果、宗教性は薄れ、「死」への対応が後手に回っているのではないかと思われる。病院に僧侶が来ようものなら縁起が悪いと抵抗されるのは容易に想像できる。西洋のチャプレンに比べて、日本のビハーラ活動が苦戦しているのはこの分離が背景にあるのではないか。

■日本独特な科学と宗教の対話

こうした中、近年は唯識と心理学、禅と哲学、仏教瞑想に基づく「マインドフルネス」など、仏教と科学の接近も盛んになってきた。キリスト教と近代科学のような自然な「親子関係」とは異なるが、日本人の心性に根づく仏教と科学の対話による「養子縁組」が成り立ち、新たな死生観が構築される可能性はある。それが死に寄り添う宗教者を受容する素地となることを期待したい。

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