聖徳太子は実在しなかった!?聖徳太子のモデルとされる「厩戸皇子」とは? (2/3ページ)
その元となった「唐本御影」とも呼ばれるものは現在では「伝聖徳太子像」と記述されることも少なくありません。
聖徳太子のモデルとなった厩戸皇子は享年48才で亡くなりましたが、その最期に関してもはっきりしていません。母親や妻と同時期に亡くなっていることから、伝染病や自殺、他殺など、様々な説が存在しているようです。
現在、聖徳太子のお墓は、大阪府南河内郡太子町にある叡福寺(えいふくじ)にある叡福寺北古墳であるとされ、そこには、母親である穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女と、妻の一人である膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)も一緒に埋葬されています。
残されている伝説や功績の全てが事実ではなかったとしても、初期仏教の普及に大きな役割を果たし、死後まもなく伝説化されたことを考えていても、やはり厩戸皇子は優秀な政治家だったと考えられます。