江戸時代、将軍のおそばに仕えた「側用人」どうして強い権力を持つようになったの? (1/2ページ)

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江戸時代、将軍のおそばに仕えた「側用人」どうして強い権力を持つようになったの?

日本史の教科書を読んでいると、江戸時代のところに「側用人(そばようにん)」という言葉が出てきます。有名な側用人としては、江戸幕府 第5代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)の側用人だった「柳沢吉保(やなぎさわ よしやす)」があげられるでしょう。

一般的な感覚から言えば「側用人」は将軍のおそばに仕えている程度の意味で、政治的に力を持つとは考えられませんが、当時は、将軍の側近であり、将軍の命令を老中に伝える役割を持っていました。

柳沢吉保(wikipediaより)

実は、「側用人」という新しいシステムができたのは徳川綱吉が江戸幕府五代将軍に就任してからのこと。その背景にはクーデターともいえる大きな政変がありました。綱吉が将軍に就任したいきさつが、明らかに前例とちがっていたのです。

将軍職を三十年間務めた四代将軍・家綱は、おとなしい性格の人物として知られ、政治の決定も大老や老中に任せていたといわれています。

四代将軍・徳川家綱(wikipediaより)

この時代には徳川政権も安定しており、側近でもかじ取りができる時代になっていたのです。

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