『巨人の星』も顔負け! 長嶋茂雄&王貞治「苦難と栄光の歴史」 (2/5ページ)
(以下、文中=敬称略)
■伝説となった地獄の特訓
立教大学に入学した長嶋は、そこで砂押邦信監督と出会い、才能を開花させる。「“鬼の砂押”の名はダテじゃなく、とにかく選手には厳しい練習を課した。この“砂押流”に対して、部員らが反旗を翻したんです。中心になったのは、立大卒業後に南海に行く大沢啓二でした」(ベテラン記者)
砂押監督は特に長嶋に過酷な練習を与え、しごき抜いた。昭和30年代の運動部は、現在とは比べものにならないくらい練習が激しかったが、砂押の特訓は当時としても“地獄”だった。いまだに伝説として語り継がれているのが、「月夜のノック」だろう。寮での夕食が終わり、部員がリラックスできる時間に、長嶋は一人、グラウンドに連れて行かれた。当時の立大のグラウンドは、閑静な住宅地の中にあった。もちろん、ナイター設備などない。真っ暗なグラウンドで砂押自らバットを握ると、長嶋にノックし、徹底的に守備練習を行わせた。暗闇でも見えるようにと、ボールには石灰をまぶしていたというが、効果は気休め程度だろう。
「グラブに頼るな! 体で捕りにいけ!」 砂押の怒声と長嶋の息遣いが、静寂に包まれたグラウンドに響いた。肩で息をする長嶋は、最後はやけくそになるとグラブを地面に投げつけ、素手でノックを受けたという。連日の特訓で、長嶋の体はアザだらけになった。この「月夜のノック」により、長嶋の感覚は研ぎ澄まされていき、ついには暗闇で捕球ができるようになったという。プロ入り後、長嶋はこう語っている。「要は勘ですよ。バットにボールが当たってから、目の前に来るまでの時間が分かるようになった。おかげで、守備に必要な“心の準備”が身についたんです」
山籠りした剣豪が、月明かりで必殺の剣に開眼したような話である。もう一つの特別練習は、砂押監督の自宅で行われた。長嶋と、1年先輩の矢頭高雄(立大から大映入り)、竹島本明は、夕食後に池袋にあった砂押の自宅に呼ばれ、延々と素振りをさせられた。「長嶋を初めて見たとき、矢頭、竹島と3人でクリーンアップを組めば、最強のチームができると思ったんだ。だから、この3人を徹底的に鍛えようと思った」
砂押監督は後に、こう述懐している。