王貞治、長嶋茂雄、清原和博…プロ野球「伝説の一打」感動舞台裏

日刊大衆

王貞治、長嶋茂雄、清原和博…プロ野球「伝説の一打」感動舞台裏

 コロナウイルス感染拡大で球春到来がさらに遠のいた今年。開幕を心待ちにするあなたに贈る、興奮の白球劇場!

 長い球史の中で生まれた劇的な名場面。伝説を作った一打の知られざる舞台裏を、解き明かしていこう。

■王貞治「756号ホームラン世界新記録」

 1977年、当時、ハンク・アーロンが持つ755号のホームラン世界記録に巨人の王が迫り、日本中が浮き足立っていた。8月31日の大洋戦で世界タイ記録となる755号を打ち、迎えた9月3日のヤクルト戦。「相手は右腕の鈴木康二朗投手でした。第2打席、6球目を王がバットを一閃すると、ライナーでライトスタンドへ。鈴木は試合後、“外角を狙ったシュートが内角のベルトの高さに入ってしまった”とこぼした。その失投を見逃さなかった王は、さすがです」(スポーツ紙ベテランデスク)

 756本目のホームランを放った王は、打球がスタンドに吸い込まれるのを見届けると、両手を上げ、笑顔で一塁へと走り出した。「実は、この日の試合前、王の母親・登美さんが差し入れを持ってきていた。りんごと鈴虫で、りんごは選手たちへ、鈴虫は王への贈り物でした」(前同)

 王の述懐によれば、「リーン、リーンと鳴く鈴虫の音色を聴いているうちに、不思議とスタンドのざわめきが聞こえなくなり、清々しい気持ちでグラウンドに出ることができた」という。

 インタビュールームでの王の第一声は「なんか、ヤクルトの鈴木くんには申し訳ないような気がします」。常に相手を気遣う男らしい、謙虚なコメントだった。

■長嶋茂雄「天覧試合サヨナラホームラン」

 59年6月25日に後楽園球場で開催された巨人対阪神戦は、天皇陛下ご臨席によるプロ野球初の天覧試合だった。巨人・藤田元司、阪神・小山正明の両エースの投げ合いで始まった試合は二転三転のシーソーゲームとなり、4対4の同点のまま、9回裏へ。この回の先頭打者は長嶋。相手は8回からマウンドに上がっていた村山実。2ボール2ストライクからの一球を長嶋が打つや、凄まじい打球が左翼中段に突き刺さった。劇的なサヨナラホームランだった。「陛下がご退席なさる予定時刻の、わずか3分前の出来事でした。もちろん、長嶋さんはそうした事情は知りませんでした」(テレビ局野球放送担当OB)

 V9時代の巨人で長嶋とチームメイトでもあった野球評論家の黒江透修さんもまた、こう言って感嘆する。「長嶋さんは、チャンスになるほど“俺に回せ、必ず打ってやる”と言って、本当に打ってしまうタイプ。持って生まれた天性のものがあるんですね」

 ミスターが放ったこの一発で、野球はその後、国民的スポーツに成長する。

■イチロー「プロ野球初 シーズン200安打」

 94年シーズン、仰木彬新監督のもとで、「イチロー」という一風変わった登録名を与えられた男は、変則的な「振り子打法」でヒットを量産。9月14日には、50年に初代ミスタータイガース・藤村富美男が残したプロ野球記録、シーズン191安打(140試合制)を抜き去った。そして迎えた9月20日、本拠地・グリーンスタジアム神戸でのロッテ戦。6回、左腕の園川一美からライトオーバーの二塁打を放ち、200安打を達成した。「イチローが化けたのは、間違いなく仰木監督の功績です。前任の土井正三監督時代、打撃フォームの改造を拒否して干されていたが、仰木さんは自由にやらせた。個性を尊重する指揮官に、イチローは心酔。05年12月に仰木さんが亡くなる直前も、イチローは病床を見舞うほど慕っていました」(オリックス関係者)

■落合博満「10・8決戦 執念の一打」

 イチローが200安打を放ったこの年、セ・リーグでは巨人と中日が最終戦を前に、まったくの同率首位で並び、「勝ったほうが優勝」というプロ野球史上初の大一番を迎えた。この試合で勝負強さを発揮したのが、前年オフに中日から移籍していた巨人の新4番、落合博満だった。落合のソロ本塁打で巨人は先制するも、すぐに同点に追いつかれる。3回表、松井のバントで二塁に送った走者を、落合がライト方向に落として執念の1点。

「先発した中日の今中にとっては“追いついた直後の落合さんの適時打がショックだった”。古巣相手、しかも“長嶋さんを胴上げする”と言って巨人入りしただけに、あの日の落合には鬼気迫るものがありました」(前出のベテランデスク)

 落合は続く3回裏、守備中の負傷で退場したが、結局、6対3で巨人が勝利して見事、優勝を果たした。「落合は、この試合前日、“明日負けたら俺、引退する”と信子夫人に告げたそうです。ただ、逆に“あんた、負けるつもりで名古屋に行くつもり?”とハッパをかけられた。さすが、ですよね(笑)」(夕刊紙プロ野球担当記者)

■バース、掛布、岡田「バックスクリーン3連発」

 85年4月17日、甲子園球場におけるバックスクリーン3連発。巨人の槙原寛己から、ランディ・バースの3ランを皮切りに、掛布雅之、岡田彰布とバックスクリーンにアーチをかけた。この3連発の勢いそのままに阪神は打ちまくり、リーグ優勝、そして日本一に輝いた。

■清原和博「日本シリーズKK対決3本塁打」

 85年の涙のドラフト以降、何かと比較された清原和博桑田真澄。94年の日本シリーズで、清原がそのライバルにリベンジを果たす。第1戦、先発の桑田から1号ソロを放つと、第5戦で再び先発した桑田から2本のホームランを放った。

「3本目を打たれた際、桑田はマウンドで小さな笑みを見せたんです。外野はアレコレ言いますが、2人の中で勝負に対しては、純粋な気持ちがあったんだと思います」(西武OB)

■北川博敏「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定弾」

 01年9月26日、オリックス相手に2対5で敗色濃厚だった近鉄。9回裏、無死満塁の場面で北川を代打に送る。「北川は阪神から移籍1年目で、サヨナラ打を何度も打ってきた男。自らのヘルメットに“サヨナラ男”のステッカーを貼っていたほどです」(前出の夕刊紙記者)

 1ボール2ストライクからのスライダーを振り抜くと、打球は一直線にレフトスタンドに。代打逆転満塁本塁打に加えて、優勝を決める劇的な一発だった。

■新井貴浩「9回5点差大逆転! 七夕の奇跡」

 17年7月7日、七夕の夜に奇跡は起きた。神宮球場で行われたヤクルト対広島戦、5点差で迎えた広島の最後の攻撃。広島は3本塁打を集中させ、試合をひっくり返したのだ。

「立役者は新井貴浩。2点差に追い上げた2死一、三塁の場面。代打で登場し、バックスクリーンに逆転3ランを叩き込んだ。当時の緒方監督が“できすぎ”と称賛した一打でした」(夕刊紙記者)

■金本知憲「右手一本鉄人ヒット」

 連続フルイニング出場1492試合の鉄人・金本知憲。04年7月29日、阪神対中日戦で金本は死球を受け、左手首軟骨剥離骨折のケガを負う。だが、翌日の巨人戦では右手一本でバットを振り、2安打を放つ。その後も出場を続け、最終的に113打点で打点王を獲得。まさに鉄人だった。

■大谷翔平「史上初10勝10本塁打達成」

 14年9月7日、京セラドームでのオリックス戦。この日、大谷翔平は節目の10号を放ち、日本プロ野球史上初の同一シーズンでの2桁本塁打&2桁勝利を達成した。この記録は、ベーブ・ルースが1918年にマークして以来96年ぶりの快挙だった。

「ここぞの場面で打てる打者の特徴は、基本的にアベレージヒッターであること。大きいのを狙って、ただ振り回すだけじゃダメなんです。安定した力が、いざというときにパワーを生む。伝説の一打は、そうした打者の集中力が生んでいるんでしょう」(前出の黒江氏)

 今年もまた、グラウンドに新たな伝説が生まれることを願って、開幕を待ちたい。

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