伊達政宗の代になって急増する殉死者の数~秘密のベールに包まれた高野山 (2/3ページ)
高野山で一番大きな五輪塔は、二代将軍徳川秀忠の北の方(崇源院殿 一般には江)で、政宗公の墓塔は山内では第四位の大きさだそうです。
伊達家墓所のどちらもすごい数の墓石が囲んでいますが、仙台藩の殉死者は全て五輪塔で、高野山における殉死者の扱いは極めて丁重なものであったことがわかります。
仙台藩殉死者は高野山でも特異な存在になってるそうで、他の諸大名は2~3名にすぎないのに伊達政宗公は20名、二代忠宗公で16名、他大変な数の殉死者を出しています。
伊達家歴代、政宗の父までは少ないですが、政宗の代になって急増します。これでは重鎮が次々いなくなり政治が機能しない、ということで殉死禁止の令が出るのですが、それでもおさまらなかったのです。
仙台藩は「君臣の結びつきが強大だった」だけでは済まない、もっと奥深いものがあるのかもしれません。
山内で、伊達家ゆかりの寺がもうひとつあります。
