歴代総理の胆力「海部俊樹」(1)海部政権は、初めから危惧されていた (2/2ページ)

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 しかし、海部政権の「船出」は、初めから危惧されていた。時に三木派は代替わりして河本(敏夫)派となっていたが、河本派は自民党最小派閥だったことから政権基盤が弱かった。また、一方で海部自体が、文相2回の文部行政経験だけで、経済・財政などの内政から外交まで、どれを取っても“門外漢”だったから、自民党内の海部政権を取り巻く環境はなんとも厳しかったということだった。

 とくに、折からの湾岸戦争に絡んで130億ドル拠出と自衛隊派遣を最大派閥・竹下派を牛耳る形だった小沢一郎幹事長から強要され、抗すべき何物も持たなかったテイタラクぶりを早々に見せつけた。

 こうした事態は、結局、小沢らに押し切られる形で、平成2(1990)年10月、自衛隊を平和維持活動の「協力隊」とするという名目で、PKO(国連平和維持活動)協力法案として提出を余儀なくされた。しかし、この法案自体も中身があまりに杜撰(ずさん)、政府答弁は大混乱といった失態のうえ、世論も自衛隊の初の海外派遣に反対が根強く、結局、法案は衆院で廃案を余儀なくされるなど、ここで海部政権の自民党内での求心力は、すでに地に堕ちたと言ってよかったのである。

 この湾岸危機を通じて、何一つ独自色を発揮できなかった海部のトップリーダーとしてのリーダーシップ欠如は、決定的となったということだった。海部は最後の“あがき”と言うべきか、ここで「重大決意」なる表明を発表し、衆院の解散・総選挙で民意を問う姿勢を見せたのである。

 しかし、竹下派の小沢一郎らはまったく聞く耳を持たず、首相の専権事項の解散権も封じられたうえで、政権にピリオドはやむなしとなったのだった。

■海部俊樹の略歴

昭和6(1931)年1月2日、名古屋市生まれ。中央大学法学部から早稲田大学法学部に編入学。昭和35(1960)年11月、衆議院議員初当選。福田内閣・第2次中曽根内閣でともに文相。平成元(1989)年8月、宇野退陣を受けて自民党総裁、内閣組織。総理就任時58歳。現在89歳。

総理大臣歴:第76・77代 1989年8月10日~1991年11月5日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

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