信長だけが織田じゃない!マイナー織田家に仕えて信長に対抗した戦国武将・角田新五【下】 (5/6ページ)
ともあれ、信長は放浪していた叔父・信次を呼び戻して以前の(家臣が秀孝を殺した)罪を赦し、再び守山城主にあてがったという事です。
最早これまで!稲生の決戦で壮絶な最期その後も信勝は織田の家督を狙って信長との対立は激化の一途をたどり、ついに弘治二1556年8月24日、稲生(いのう。現:愛知県名古屋市西区)の地で決戦の火蓋が切って落とされました。
「者ども!敵(信長軍)は寡勢ぞ、恐るに足らぬ……かかれーっ!」
「「「おおぅ……っ!」」」
信勝の軍勢1,700に対して、信長の軍勢は700足らず、倍以上の兵力差に勝負は一瞬かと思われましたが、信勝方の一翼を担っていた林美作守通具(はやし みまさかのかみみちとも)が信長の手で討ち取られると、陣形が破綻の兆しを見せます。
「こらっ……退くな!怯むな!」
また、もう一翼を担っていた信勝の猛将・柴田権六郎勝家(しばた ごんろくろうかついえ)は予め信長と内通しており、これによって味方は崩壊してしまいました。