信長だけが織田じゃない!マイナー織田家に仕えて信長に対抗した戦国武将・角田新五【下】 (6/6ページ)

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「最早これまで……かくなる上は名をこそ惜しむ……一人でも多く冥途の道連れじゃ!」

たとえ逃げて、この場を生き延びたところで、武士としての生き場所はない……そう覚悟した新五は果敢に突撃。信長方の松倉亀介(まつくら かめのすけ)に討ち取られてしまったそうです。

かくして、後世に言う「稲生(稲生原)の合戦」は信長の完全勝利に終わり、降伏した信勝は生母・土田御前(どたごぜん)の助命歎願によって処刑を免れたものの、再び謀叛を企んだため、翌弘治三1557年11月2日に暗殺されてしまいました。

これによって信長の家督継承は盤石なものとなり、やがて尾張国を統一し、天下布武への表舞台へと踊り出していくのですが、そのエピソードについては、又の機会に。

【完】

※参考文献:
和田裕弘『信長公記―戦国覇者の一級史料』中公新書、2018年
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』吉川弘文館、2010年

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