モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指した悲劇の英雄・バボージャブの戦い【完】 (3/6ページ)
また、南モンゴルの中でも「民族の独立を主張して多くの血が流れるくらいなら、中華民国の支配下で貧しいなりに安穏と暮らしたい」という意見が蔓延し、あくなき独立闘争を訴えるバボージャブは次第に疎まれるようになっていきました。
手を拱(こまね)いている内に民国五1916年6月、中華民国の大総統・袁世凱(えん せいがい)が亡くなると、中華民国は内部抗争・分裂によって大陸をまとめ切れなくなり、各地の軍閥が割拠する混沌の乱世に突入します。
こうなると、日本としては中華民国が大きな脅威でなくなり、中華民国に対する牽制として満洲・モンゴルを特別に支援する必要がなくなった事から、バボージャブに対する支援を打ち切りにしてしまいました。
「やはりか……大国の連中は、いつだってそうだ!」
大国の都合による支援は、大国の都合によって打ち切られる不安定なもの。覚悟していたバボージャブでしたが、もう後には退けません。バボージャブ率いる勤王師扶国軍はハルハ川から奉天を目指し、満洲馬賊の大親分・張作霖(ちょう さくりん)の攻略に乗り出します。
流石に滅ぼせるとは思っていなかったにせよ、短期決戦で痛打を加えた上で和睦を持ちかけ、モンゴル族が「満洲支配に利用価値がある」とほのめかす事で、満洲・モンゴルそれぞれの独立に協力関係が構築できる可能性に賭けたようです。