田中角栄「怒涛の戦後史」(24)元首相・鈴木善幸 (3/3ページ)

週刊実話

鈴木は昭和57年11月、内閣総辞職に踏み切り、田中はそのあと釜に、なおも自らの影響力温存を図るため、気脈の合った中曽根康弘を担いだのである。

 田中は長い政治生活の中で、人を見誤るということがまずなかった。部下には適材適所のポストを与え、それぞれが皆、それなりの結果も出していた。唯一の“メガネ違い”が、この鈴木と言えたのである。

 鈴木が首相としての実績を残せなかったのは、とりわけ大蔵、外務などの重要省庁との太いパイプを欠いたことが大きかった。官僚が動かなかったのである。鈴木は自民党総裁に選ばれた際のあいさつで、次のように言ったくらいだから、自らの分際は初めからわきまえていたようだ。

「もとより、私は総裁としての力量に欠けることを十分に自覚している」

 官僚使いの達人だった田中は、珍しく鈴木の力量を読み違ったということだった。田中としては、「弘法も筆の誤り」と言いたかったのではなかったか。
(本文中敬称略/次回は元通商産業省事務次官・小長啓一)

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【著者】=早大卒。永田町取材50年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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