中井祐樹の「何かを失っても『格闘技を守りたい』という思い」 (4/5ページ)
はからずも、いまはそういう状況になってしまった」
中井は、こうも言った。
「今まではスパーリングをすることやきつい汗をかくことが練習だった。でも、僕は『スパーだけが練習ではない』と言い続けてきた。実をいうと、僕は練習でずっとスパーという言葉を使っていない。その言葉だけで一般の人が怖がることを理解していたので。だからいかにしてスパーという言葉を消そうかと考え続けていました。今回のコロナの件で、やっとみんなそのことに気づくきっかけになるのかなと思いますね」
中井はあらゆる可能性や方針を否定しない。「年に一回、覚悟を決めて組み合う」という日が訪れる可能性も選択肢のひとつとして捨てていない。それも、時代のひとつとしてのあり方だと捉えているからだ。
「一人ひとりがそれに納得できるかどうかの問題だと思います。そうなると、今までの練習形態やジムという枠組みは壊れてしまうかもしれませんが」
なぜここまで言うかといえば、中井には「格闘技を守りたい」という思いが強いからにほかならない。
「これまでコロナ以外のこと(格闘家が関わったとされる傷害事件や恐喝事件など)でも、ずいぶん格闘技や武道のせいにされてきましたからね」
いまのところ柔術専門の道場から感染者が出たという話は中井の耳に入っていない。
(取材・文=布施鋼治)
中井祐樹
中井祐樹(なかい ゆうき)
1970年8月18日生まれ。北海道出身。高校ではレスリング部だったが、北海道大学で寝技中心の七帝柔道に出会い、柔道に転向。4年生の夏に大学を中退し、上京してプロシューティング(現在のプロ修斗)に入門。94年にはプロ修斗第2代ウェルター級王者に。95年のバーリトゥード・ジャパン・オープン95に最軽量の71キロで出場。1回戦で右眼の視力を失いながらも勝ち上がり、決勝でヒクソン・グレイシーと対戦。