遺骨調査で証明?江戸幕府で一番のイケメン将軍はコンプレックス多き徳川家重だった説 (2/3ページ)

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しかし、将軍になった重責からか家重の吃音はますます悪化し、ついには側近の大岡忠光(おおおか ただみつ)しか聞き取れなくなってしまったと言います。

また、排尿障害を患っていたらしく頻尿に悩まされ、江戸城から徳川家の菩提寺である上野寛永寺まで約5kmの参詣ルートに23ヵ所もの厠(かわや)を設置させたため、人々は「小便公方(しょうべんくぼう)」と陰口したそうです。

その一方で、消極的な自分の代わりに田沼意次(たぬま おきつぐ)や大岡忠光と言った優秀な人材を登用し、吉宗の政治的遺産もあって天下はよく治まったと高く評されています。

「御みずからは御襖弱にわたらせ給ひしが、万機の事ども、よく大臣に委任せられ、御治世十六年の間、四海波静かに万民無為の化に俗しけるは、有徳院(吉宗)殿の御余慶といへども、しかしながらよく守成の業をなし給ふ」
※幕府の公式史書『徳川実紀』より。

そして宝暦十一1761年6月12日、嫡男・徳川家治(いえはる)に後を託して51歳の生涯に幕を下ろしたのでした。死因は尿毒症と推測されています。

遺骨調査でイケメンだったことが証明

……こうして家重の人生を振り返ってみると「小便公方」なんて綽名からして「さぞイケメンとは程遠い、不細工な容姿だったのだろう」などと先入観を持ってしまいがちです。

しかし、戦後に墓所・増上寺の改修に伴う発掘調査が行われた際、家重の遺骨を確認したところ、歴代将軍の中で最も顔立ちが整っていたとする『徳川実紀』の記述が証明されました。

※一説には家重は脳性麻痺を患っており、時おり顔面が麻痺して歪んでしまうことがあったため、その時の印象で前掲のような肖像画を描かれた可能性があります。

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