遺骨調査で証明?江戸幕府で一番のイケメン将軍はコンプレックス多き徳川家重だった説 (1/3ページ)

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遺骨調査で証明?江戸幕府で一番のイケメン将軍はコンプレックス多き徳川家重だった説

江戸幕府には初代・徳川家康(とくがわ いえやす)から15代・徳川慶喜(よしのぶ)まで15人の将軍がいる中で、一番イケメンだったのは誰でしょうか。

家康の古狸みたいな顔(肖像画)を見る限り、その子孫たちもそんなにイケメンだったとは思えないものの、それでも武家の棟梁として天下に号令する立場ともなれば、相応の品位や覚悟が容姿に表れていたことでしょう。

そこで今回は、江戸幕府で一番のイケメン将軍・徳川家重(いえしげ)を紹介したいと思います。

「小便公方」徳川家重のコンプレックスと功績

徳川記念財団蔵「徳川家重肖像(狩野英信筆)」えーと……イケメン?

家重は江戸中期の正徳元1712年12月21日、第8代将軍・徳川吉宗(よしむね)の長男として生まれました。幼名は長福丸(ちょうふくまる)と言います。

後世「暴れん坊将軍」の異名で知られ、享保の改革などバイタリティあふれる父とは違って生まれつき病弱で、吃音(どもり)のコンプレックスで引きこもりがちだったそうです。

ゆえに吉宗の後継者として相応しくないとする声も少なからず、一時は廃嫡騒ぎ(聡明であった弟の宗武を擁立する動き)も起こりますが、お家騒動を未然に防ぐ吉宗の意向で第9代将軍に就任しました。

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