《没後20年》長州、天龍、三沢…「7大名勝負」で振り返るジャンボ鶴田伝説 (2/4ページ)

Asagei Biz

最終的には1対1から61分時間切れになってベルト奪取はならなかったものの、鶴田が馬場の後継者であることが認知された試合だ。

 75年12月15日には仙台で「オープン選手権」の公式戦という形で、馬場と初の師弟一騎打ちが実現。ここで鶴田は恐るべき身体能力を発揮する。209センチの馬場相手に上から下に向かう形で胸を撃ち抜くドロップキックを決め、145キロの馬場の巨体をサイド・スープレックスで完璧に投げ切ったのだ。持ち上げてから一度静止し、タメを作ったうえで投げ飛ばす姿は五輪3大会(ソウル、バルセロナ、アトランタ)連続で金メダルを獲得したグレコローマンの伝説の強豪アレクサンドル・カレリンのカレリンズ・リフトを彷彿させるものだった。

 続く名勝負は76年7月17日に「ジャンボ鶴田試練の十番勝負」第4戦として実現したビル・ロビンソン戦。

 会場には冷房設備がなく、うだるような暑さだったが、その悪条件の中で両雄はレスリング主体の持久戦を闘う。ロビンソンが1本目を取ったのが試合開始から実に29分5秒というロングマッチになった。2本目、鶴田が返した時点で残り試合時間は10分を切っていて、3本目はそのまま時間切れ引き分けに。

 両者の希望で5分間の延長戦が行われ、延長2分過ぎに鶴田がダブルアーム・スープレックス! それでも勝負はつかずに5分がたち、結局は65分戦っても決着がつかなかった。

 スタミナ切れのロビンソンに対し、鶴田の驚異的なスタミナが際立った試合で、この一戦から「無尽蔵のスタミナ」と形容されるようになる。

 鶴田の偉業といえば、84年2月23日、蔵前国技館においてニック・ボックウインクルを撃破して日本人初のAWA世界ヘビー級王者になったことだ。

「相手がワルツを踊れば私もワルツを、相手がルンバを踊れば私もルンバを踊る」と豪語するニックは、相手の持ち味を引き出したうえで、いつの間にか逆転勝ち、あるいは反則負けで逃げるという戦法で王座を死守してきた難攻不落の王者。それまで鶴田はニックに4度挑戦して3勝1引き分けと勝ち越しているが、3勝は全て反則勝ちで「反則判定では王座の移動なし」というAWAルールに煮え湯を飲まされてきた。

 だが、この日のニックはのらりくらり戦術を封印して積極策。

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