長嶋茂雄、初キャンプ・オープン戦で“赤バット”に代わった4番 (2/2ページ)
スーツ姿の長嶋は、ファンにもみくちゃにされながら、合宿先の旅館まで歩いて行くはめとなった。旅館まで10分で着くところが、40分以上かかったという。
翌17日から練習に参加した長嶋は、初っぱなに水原茂監督からノックを受けたが、卒業試験などで約3か月のブランクがあったせいか、動きは鈍かった。水原監督は長嶋の体をほぐしてやろうと、「馬場と一緒に外野を走れ」と指示した。
ご存じのように、馬場正平はのちに日本プロレスに入門し、ジャイアント馬場となる。馬場は高校を2年で中退し、昭和30年に投手として巨人に入団。二軍で実績を残し、長嶋が入団する前年には一軍での登板も経験していた。守備では調子の上がらなかった長嶋だが、バッティング練習では、三遊間に2本の安打を放つ。二軍の打撃練習にも参加し、ここでもヒット性の当たりを連発して首脳陣を喜ばせた。
ふだんは一軍の練習が終わると帰ってしまう報道陣も、全員残って長嶋の一挙一動を追っていた。球団関係者は、改めて長嶋の人気ぶりを目の当たりにした。
■“川上時代”の終わり
明石のキャンプが終わり、オープン戦が始まった。3月1日の阪急戦は、あいにく雨が降る悪天候だったが、高知市営球場には開場前から大勢のファンが並んだ。5時から並んで当日券を求めたファンもいたという。
第1打席は三振。第2打席は中飛。長嶋が凡打するたび、阪急ベンチからは「それでも“日本一”か!」とヤジが飛んだ。これは、長嶋の契約金が史上最高額であったことを皮肉ったものだった。
ところが、6回無死満塁のチャンスで、長嶋はエースの梶本隆夫からレフト前に逆転のタイムリー。値千金の一打で、阪急ベンチを沈黙させる。
続く高松(香川県)での試合では、森口哲夫から、9回に左翼にライナー性のホームラン。オープン戦ではあるが、これが“ミスタープロ野球”長嶋茂雄のプロ初ホーマーだった。
9日には大阪球場で南海戦に臨んだ。ここで水原監督は、長嶋を4番に据えて、川上哲治を5番にするオーダーを初披露した。球場のアナウンスを聞いたファン、報道陣はどよめいたという。
無理もない。川上は昭和15年以降、巨人の不動の4番打者だったからだ。14日の南海戦では、長嶋を3番にして川上は4番に戻るが、ファンには“川上時代”が終わろうとしていることを予感させた。
この続きは6月1日発売の『週刊大衆』6月15日号で。