明智秀満「湖水渡り」伝説の元ネタ?琵琶湖で水上戦を繰り広げた戦国時代の古文書が公開へ
報道によると、明智光秀(あけち みつひで)が主君・織田信長(おだ のぶなが)を暗殺したクーデター「本能寺の変(天正十1582年6月2日)」の直後、光秀の重臣である明智秀満(ひでみつ)が、瀬田城主の山岡景隆(やまおか かげたか)と琵琶湖で船戦(ふないくさ)に及んだ古文書が、新たに発見されました。
明智秀満については、こちらの記事も合わせてどうぞ。
古文書は景隆の七男・山岡景以(やまおか かげもち)が自家の由緒をまとめた「山岡景以舎系図(~いえのけいず)」で、天正十九1591年に石山寺(いしやまでら。現:滋賀県大津市)に奉納されたものです。
弥平次(やへいじ)と通称で記された秀満は、琵琶湖北岸の安土城(現:滋賀県近江八幡市)へ向かう途上、山岡景隆を仲間に勧誘するも、亡き信長へ対する忠義ゆえに拒絶されてしまいます。
そればかりか瀬田の橋を焼き落として進路を妨害されたため、水路を行こうと船を乗り出したところ、琵琶湖上で戦闘に発展。少なからぬ損害を出して秀満らはやむなく転進、その後の行動に遅れをとってしまったそうです。
明智秀満の湖水渡り。愛馬の助けを得たとしても、琵琶湖を泳いで渡るのは尋常ではない。歌川豊宣「新撰太閤記 明智左馬之介」Wikipediaより。
これまで、秀満は愛馬にまたがって琵琶湖を泳ぎ渡ったという「湖水渡り」の伝承で知られてきましたが、今回の船戦が「秀満なら、そのくらいはやりかねない」という彼の剛勇さを伝える元ネタになったのかも知れません。
今回の発見を受けて、石山寺の関係者も「光秀が主人公の大河ドラマが放送されているタイミングで、明智家に関する史料が見つかったことに不思議な縁を感じる」とコメント。令和二(2020)年秋に本堂で公開される予定(※)だそうです。
(※)石山寺 公式ホームページ(6月1日から、時間短縮の上で拝観を再開)
しかし、その大河ドラマ「麒麟がくる」は、新型コロナウィルスの影響で収録が見合わせられており、6月7日(日)<第21回>の放送をもって一時休止が決定してしまいました。
楽しみにしていた方にはとても残念なことですが、それでも歴史ドラマの魅力が色褪せることはありませんし、今回のような新発見も次々と出て来るでしょうから、これからも戦国時代や光秀&秀満たちに興味関心を持ち続けて欲しいと思います。
※参考:
明智秀満の船戦、記した古文書見つかる 光秀の重臣「湖上渡り」伝説の一端か
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
