戦国時代、結婚を拒んで壮絶な最期を遂げた悲劇の美女・藤代御前の怨霊伝説【下】

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戦国時代、結婚を拒んで壮絶な最期を遂げた悲劇の美女・藤代御前の怨霊伝説【下】

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戦国時代、結婚を拒んで壮絶な最期を遂げた悲劇の美女・藤代御前の怨霊伝説【中】

陸奥国(現:青森県)の戦国大名・津軽為信(つがる ためのぶ)は、人妻である美女・藤代御前(ふじしろごぜん)に横恋慕。どうにかして我がものとするべく彼女の夫を謀殺しました。

それで(未亡人となった彼女が、生活のため仕方なく)なびくかと思いきや、亡き夫への貞節を守るため、為信の申し出を拒絶します。

ショックを受けた為信は完全に逆上、その場から逃げ帰りましたが、このままでは済むとは思えませんでした……。

為信の最後通告に、藤代御前の回答は?

それから数日経った深夜、すっかり寝静まっていた藤代御前たちは、遠くから伝う馬蹄の地響きで目を覚ましました。

「……来ましたね……」

敵の大軍に動じることなく、戦う覚悟を決めた藤代御前(イメージ)。

ただならぬ事態を察した藤代御前は、いざとなれば館に立て籠もるべく、全員に戦支度を命じます。

馬蹄の響きは次第に近づき、やがて館を取り囲むように静まりました。闇の中で、馬の嘶(いなな)きや甲冑のガチャガチャと鳴る金属音が犇(ひし)めいています。

「何用ですか!」

俄かづくりの物見櫓に上がった藤代御前は、迫り来た大軍を問い質します。大軍の主は、言うまでもなく為信でした。

「藤代の!これが最後通告ぞ……そなたを我が妻に迎えよう。もし望むなら正室に挿(す)げ替えても構わぬ……否と申さば、我が軍勢がそなたらを一呑みにしてくれようぞ!」

きっと(お高くとまった)藤代御前は、側室という地位が嫌だったのだ。ならば、正室にしてやると言えば、首を縦に振るはず。念のため、武力による脅しも忘れずに……そう思っての実力行使でしたが、やはり藤代御前は拒絶しました。

「バカめ!……と言って差し上げますわ」

確かにあなたは、偉いのかも知れない。強いのかも知れないし、賢いのかも知れない。カネも権力も手に入れて、気に入らない相手は武力で屈伏させ、欲しいものは何でも奪えるのかも知れない……それでも、心だけは渡さない。

「殺すなら殺せばいい!それでも私は、決してあなたなど愛さない!」

「いい度胸だ……よく言った!者ども、攻めかかれ!」

毒を食らわば皿までも……決定的にフラれた以上、藤代御前の骨ひとかけさえ残さぬ怒涛の勢いで、為信の大軍は小さな館を呑み込みました。

壮絶な最期を遂げた藤代御前、怨霊となって為信をとり殺す

「お方様!」「お姉様!」

藤代御前たちは懸命に戦いましたが、いかんせん多勢に無勢。ドラマのように華麗な救出劇も起こることなく、妹や家来たちともども皆殺しにされてしまいます。

最期まで戦い抜いた藤代御前(イメージ)。

「おのれ為信……むざむざ殺された夫の無念、なぶりものにされた妹の純潔……我ら一族、これまで忠勤に励みこそすれ、滅ぼされる謂れなどない……この恨み……断じて晴らさでおくべきか……末代まで祟ってやるから、覚えておくがよい!」

最後の一人となって戦い抜いた藤代御前の怨念に恐れをなした兵士たちは、これでもか、これでもかと彼女の遺骸を斬り刻み、あっという間に肉泥(ミンチ)とされてしまいました。

これでは首実検のしようもなく、ズタズタに切り刻まれたグロテスクな遺骸にうんざりした為信は、岩木川のほとりに埋葬させたのですが、話はこれで終わりません。

それから歳月も流れ、悲劇の記憶も風化しつつあった慶長十二1607年、京都に赴任していた為信の嫡男・津軽平太郎信建(へいたろう のぶたけ)が病に倒れてしまいました。

護摩も祈祷も効果がなく、どんな名医に見せても匙を投げる重篤な状態と知った為信は、居ても立っても居られず、病身を引きずってはるばる京都まで見舞いに行きますが、それでも快復する事はありません。

「父上……」「平太郎―っ!」

かくして慶長十二1607年10月13日、信建は34歳で生涯に幕を下ろします。最晩年に愛する嫡男を喪い、悲嘆に暮れる為信の前に、女の亡霊が現れました。狂い笑うその正体は、もちろん藤代御前です。

為信の前に現れた藤代御前の怨霊(イメージ)。

「アハハハハハ……ざまを見さらせ!これで少しは、愛しい者を奪われる気持ちが解ったか……しかし為信よ、これだけで我らの怨みが晴れるなどと、ゆめゆめ思うでないぞ……これからもそなたの子も孫も曾孫も玄孫も末孫も……津軽一族のことごとく滅び去るまで、殺して殺して殺し尽くしてくれるわ……!

藤代御前の姿が消えた途端、為信はにわかに病状が悪化して倒れ伏し、信建の後を追うように同年12月5日、59歳の生涯に幕を閉じるのでした。

エピローグ「我が亡骸を、藤代御前の墓の上に葬れ」

「……おのれ、あのアマ……」

いよいよ臨終も近づいた病床の為信は、後継者に指名した三男の津軽平蔵信枚(へいぞう のぶひら)に、遺言を伝えました。

「平蔵……これは藤代御前の祟りじゃ……このままでは、我ら一族ことごとく滅ぼされてしまう……よいか……我が亡骸は、岩手川のほとりに埋めてある藤代御前の墓の上に葬れ……我は降魔の鬼となり、彼奴めを取り押さえてくれよう……」

「御意」

為信の死後、信枚は遺言通りに藤代御前の墓に覆いかぶせる形で為信の墓を建立。現地を管理させるために、他所にあった革秀寺(かくしゅうじ。現:青森県弘前市)をそこに移転させました。

炎上する革秀寺。藤代御前の祟りと恐れられた(イメージ)。

ちなみに、為信を葬った直後、革秀寺は火災に遭って焼失。慶長十五1610年に再建されてからも紆余曲折を経て現代に至り、今なお為信は藤代御前の怨霊を取り押さえ続けていると言います。

もしかしたら、藤代御前への未練が断ち切れぬまま地獄の果てまで追い駆けているのかも知れませんが、せめてあの世では、みんな怨恨や煩悩から解放され、心安らかに暮らして欲しいものです。

【完】

※参考文献:
青森県文化財保護協会『津軽歴代記類』青森県文化財保護協会、昭和三十四1959年
稲葉克夫『青森県百科事典』東奥日報社、昭和五十六1981年

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