16歳とは思えない風格!悲劇のイケメン貴公子・平敦盛の美しすぎる最期【下】 (4/5ページ)
「はて……?」
入っていたのは青葉(『平家物語』では小枝-さえだ)の笛。教養に乏しい直実ですが、これが名物であることを直感。今朝がた、平家軍の砦から聞こえた雅やかな音曲は、きっとこれらによって奏でられていたかと思うと、悲しみもいっそう増すばかり。
「……当時御方(おんかた。みかた)に東国の勢何万騎かあるらめども、軍(いくさ)の陣へ笛持つ人はよもあらじ。上臈(じょうろう)はなほもやさしかりけり」
【意訳】(前略)我ら東国の軍勢は何万騎もいたが、合戦の陣中に笛を持ってくるような者がいる筈もない。やんごとなき方はどんな状況にあっても雅やかなことよ……
そして戦後の首実検で、敦盛の首級を総大将である源義経(みなもとの よしつね)に見せたところ、彼こそ名高き敦盛であったと知ってその死を惜しみ、涙せぬ者はいなかったそうです。
その後、直実は法然(ほうねん。浄土宗の祖)上人の勧めによって建久元1190年に高野山で敦盛の七回忌法要を執り行い、青葉の笛は須磨寺(すまでら。現:兵庫県神戸市)に奉納され、今も大切に保管されています。