一度は使ってみたいプロレスの言霊 「クリアすべき問題がある」発言者・ジャイアント馬場 (1/3ページ)
結局、最後まで実現することのなかった昭和最大のドリームマッチ、ジャイアント馬場vsアントニオ猪木。猪木からの再三にわたる挑戦に対して、馬場は対戦拒否の構えを崩さなかった。
その理由とはいったい何だったのか?
未完のままで終わってしまったジャイアント馬場とアントニオ猪木のライバルストーリー。
日本プロレスの若手時代に対戦があるものの、エース格に成長した猪木が馬場への挑戦を表明したときには、団体幹部により「時期尚早」と却下され、それ以降は一方的な猪木の挑発を馬場が受け流すという図式が、10年以上にわたって続けられてきた。
馬場自身にまったくその気がなかったわけでもなく、例えば1975年に全日本プロレスが開催した「オープン選手権」は、猪木の参戦を想定したものだったという(もっとも猪木参加となれば、馬場と対戦する前に強豪外国人たちをぶつけて、潰してしまおうという裏の意図もあったらしいが…)。
★夢の対決に向け1億円を提示!?
ついぞ直接対決が行われることはなかった馬場と猪木だが、それでも対戦の機運が盛り上がった瞬間は確かにあった。
’79年8月26日、日本武道館で開催されたプロレス夢のオールスター戦。8年ぶりに再結成された馬場と猪木のBI砲が、アブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シンの狂悪コンビを下すと、勝利後のリング上で猪木が「2人が今度、リングで会うときは闘うとき」とマイクアピール。馬場もこれに「よしやろう」と応じて、互いにリング上で抱き合った。
しかしながらその後の馬場は、対戦について問われてもオールスター戦以前と変わることなく、(猪木との対戦実現の前に)「クリアすべき問題がある」とにべもなかった。
では、このクリアすべき問題とはいったい何だったのか?
当然、テレビ放映権(全日は日本テレビ、新日はテレビ朝日との専属契約)や興行権は問題になろう。そして何よりも大きいのが、どちらが勝利するのか…。
プロレスマスコミは、こうした点に切り込むことはなかった。