仙台開府は伊達政宗と徳川家康のまさかの共同事業!?:江戸時代の地理風水を駆使した都市設計【3】 (3/4ページ)

Japaaan

仙台東照宮は、幕府に知られてはならない結界の一地点で、鬼門に家康を祀ったことがバレれば、伊達家は取り潰しになりかねないからこそ、六芒星の存在は仙台藩にとってはトップシークレットのはずだった。

が、ここにきて、ひょっとすると仙台の街は、最初から家康公と政宗の共同事業だったのではないか…と感じざるを得ません。

城はレイライン上に建てられた

岩出山城は、以前は奥州探題大崎氏の家臣氏家氏の居城だった。青葉城は、もともと国分氏の城だった。青葉城も山形城も以前は縄文遺跡があった場所。

仙台城の候補地だった榴ヶ岡は源頼朝が奥州藤原氏を攻めたときに藤原泰衡が防御のための館を築いた場所。【2】参照

もう一つの候補地大年寺山には茂ケ崎城があった。その周辺愛宕山にかけては横穴墓群がある。

他にも、細かく調べていくと、グランドクロス上には古くは縄文遺跡、中世になると領主の館跡、近世には城跡や寺社が配されている。

このような台地の気が流れるルートを中国では龍脈といい、西洋ではレイライン(遺跡群が描く直線)という。

そのことを知っていたのが、徳川家康with天海だ。

政宗は、さらに天文学をプラスして仙台に四神を配したのだ。

レイライン(ley line)

古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説のなかで、その遺跡群が描く直線をさす。レイラインが提唱されているケースには古代イギリスの巨石遺跡群などがある。

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