梅沢富美男、女形ブレイクのきっかけは国民的漫画家のひと言だった (2/2ページ)

日刊大衆

 この曲は83年に細川たかし(69)がカバーしたことで大ヒットしたが、梅沢が渡されたのは76年発売のちあきなおみ(72)のシングル『酒場川』で、オリジナルの『矢切の渡し』はそのB面だった。石ノ森のお気に入りで、梅沢は「飲みに行くと、あればっかり歌ってるんですよ」と振り返った。

 梅沢は、踊りのアドバイスをしてもらおうと、レコードを持って座長である兄の武生(80)のところに。すると兄は「無理だよ、これ、相舞踊だから」と、この曲は男と女が歌詞に合わせて踊りを掛け合う相舞踊だと指摘し、「俺、女形できねぇから、おまえやれ」と女形を梅沢に任せたという。

 しかし梅沢も女形の経験はなく、「どうやったら女形やれんですか?」と問うと、兄は「おまえは女好きなんだから、女見りゃあいいだろ」とアドバイス。梅沢は「あ、ラッキー」「じゃあ、楽じゃない」と思ったと笑い、化粧したら女形になっていたと語った。

■トントン拍子にドラマ出演も

 さらに梅沢は、女形転身が82年放送の伝説のドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』(TBS系)で、テレビドラマに初出演することに結びついたと明かした。この意外な流れに伊集院は「頭上がらない石ノ森章太郎先生に、“好きな歌がある”って言われて、“女形やんなきゃなんねぇじゃん”からなんだ!」と驚いていた。

「テレビでは毒舌トークのコメンテイターや、俳句の名人として知られている梅沢ですが、同時に年間約150日は舞台を務めている大衆演劇のスターでもあります。しかし、現在は、新型コロナの影響で舞台に上がる機会を失っているそうです」(芸能誌記者)

 放送では引退のタイミングは5年周期で考えると言い、75歳までは舞台を続けると意気込んでいた梅沢富美男。コロナ終息の折には、見事な舞台を見せてほしい。

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