力道山、ジャイアント馬場が語った、元気になる「魂の名言」 (1/2ページ)

日刊大衆

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 空手チョップで終戦直後のニッポンを元気づけた力道山が『週刊大衆』に登場したのは、1963年10月17日号のインタビューコーナー『突如参上』だった。

 プロレス団体のみならず、高級賃貸住宅、飲食店、レジャー施設などを手広く経営していた当時38歳の力道山は、成功の秘訣を問われると、即答した。

「“宵越しの金”は持たないということだろうな。入ってきた金は、一円でも多く倹約して、次の仕事に回すという意味サ」

 その答えは、まさにやり手実業家のそれ。「大金持ちだという世評について、どう思うか?」と問われると、マユをピクリと動かした。

「大方、週刊誌あたりからウワサが流れるんだろう。実をいうと、毎月手形を落とすのに、追いまくられているんだ。本当だヨ」

 インタビュー時、新婚生活4か月で、翌春には子息誕生が控えていた。その話が記事に出たため、関西を旅行した際、女学生から「“恋愛結婚”なんですか」と聞かれたと話す力道山。「この頃の若い娘はみんな早熟なのかネ? セックス(やや声が小さい)についてよく知ってるよ。ん? 教科書で教える? そうか」

 だが、このスーパースターが、その子をその手に抱くことはなかった。この2か月後、突然の凶行に襲われ、この世を去ったからだ。

 力道山の没後、日本マット界を背負ったのが、ジャイアント馬場アントニオ猪木の「BI砲」だった。

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