一度は使ってみたいプロレスの言霊 「俺だってねえ…」発言者・木村健悟 (2/3ページ)

週刊実話

その代名詞となったオリジナル技、稲妻レッグラリアットにしても、開発当初こそは何度かこれでフォールを奪うこともあったが、後々はすっかりつなぎ技となって、木村が「イナヅマ!」と叫ぶと会場に失笑が起きるような始末であった。

 まるで効かないとすら言われるこの技だが、相手の鎖骨を骨折させたこともあり、平成維震軍興行では長州力からフォール勝ちを収めている。

 脛の硬い部分を相手にぶつける大車輪キック、あるいはロープの反動をつけて正面から当てる延髄斬りのようなものだから、むしろ一撃必殺であることこそが本来の姿なのだ。

 それがつなぎ技となってしまったのは、木村自身が「相手にケガをさせないように」と脛にサポーターを装着し、また、当てる場所やその勢いを加減したことによる。そのように、あえて技の威力を殺すあたりを見ると、木村は自らの意思で脇役の道を選んだとも言えそうだ。

 坂口征二の付き人として日本プロレスから新日へ移籍してきたという経歴から、やはり主流である猪木派の弟子たちよりは、団体内での扱いが低くなる。実際、海外武者修行へ出たのは、藤波よりもかなり後のことだった。

 そうした状況において木村が脇役に徹したのは、仕事としてプロレスを続けるためのやむを得ない選択であったのかもしれない。

★マット史に残るワンマッチ興行

 相手の技を受けて意識もうろうとなり、リングに崩れ落ちる。そんないかにも効いたような振る舞いで、相手の強さを引き立てることを業界内で「セール」と呼ぶが、「木村のそれは絶品だった」と評価する声もある。

 ただ、それは木村の本意であったのだろうか。

 子どもの頃には手が付けられないほどのヤンチャ坊主だったといい、新日流のグラウンド技術や試合の組み立てにはやや難があったとはいえ、海外遠征時にヒールとしてラフ殺法に徹した際には、メインイベンター級の活躍をしている。

 敬愛するプロレスラーはアントニオ猪木で、子どもや孫には、猪木の本名「寛至」から「寛」の字を拝借して命名するほどであった。

 ’87年1月3日、藤波とのシングル戦は藤波の反則暴走に終わった。

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