カミカゼだけではなかった!日本が強大な力を持っていた「元」を「元寇」で退けることができた理由 (2/4ページ)

Japaaan


このことが理解できないなら、軍を送ることになるが、それはこちらとしても本意ではない。
よく考えて返事をしてくれ」

要は「我々と国交を結ばないなら、お前の国へ攻め込むぞ」という脅しです。
当時の日本は金の産出国として知られていたため、元はそこに目を付け、日本も属国にしようとたくらんだのでしょう。

しかし鎌倉幕府は、これに対し返事をしないことで
「元との国交は拒否する」
という意思を伝えようとしました。

日本の「無言の拒否」が伝わらなかったのか、元はその後も何度か使者を日本へ送り国交を求めました。
それでも日本が返事をしなかったため、フビライはついに日本へ総勢約4万の大軍を差し向ける決定を下します。
これが、最初の「元寇」として知られる「文永の役」です。

チームワークがなっていなかった元の大軍

騎馬戦術に優れている上に「てつはう」などの最新兵器まで駆使する元の大軍でしたが、致命的に足りないものがありました。それは「チームワーク」です。

元の軍隊はモンゴル人だけでなく、高麗・女真など元によって征服された国や属国とされた国から強制的に集められた様々な民族で構成されていたため、言葉が通じずお互いの意思疎通が困難でした。

しかも最新兵器を駆使することができたのはモンゴル人だけで、他の民族の中には弓矢などの武器がうまく使えない者すらいたのだとか。

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