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神無き時代の宗教としてのUFO (3/3ページ)

心に残る家族葬

科学時代が否定した天国や極楽は、他惑星の地球外文明に形を変えつつあった。科学時代における神とは、地球文明を超えた超科学、超テクノロジーに他ならなかった。聖典や神話をそのまま信じることは困難となり、そうかといって他界に夢を見たい心は、科学的無神論を受け入れられない。そうした中の一部の人たちは、教義をそのまま信じることが困難になった宗教を地球の科学を超えた超科学によって救おうしたのではないだろうか。


■抽象化するUFO

やがて核開発や自然破壊など、科学の限界が指摘され反省が促されるようになり、科学のカウンターカルチャーとして仏教や神秘主義などが注目される。高度に発達した異星人の超科学は時代にそぐわないものになっていった。UFOや異星人たちは具体的な姿を消し、抽象的な存在となる。

アブダクション(UFOによる誘拐事件)、キャトルミューティレーション(内臓や血液を失った動物の死体が発見された怪現象)など、異星人が関係するとされる事件が多く報告され、神仏とはかけ離れたイメージに変容する。それらはUFOや異星人が直接現れるわけではなく、あくまでそれらの痕跡に過ぎない。さらに大統領直属の秘密機関「MJ-12」の存在が記載されたとされる「M-12文書」、異星人によるクローン実験の全容が記載されているとする「ダルシー文書」など、UFOは「文書化」(「UFO とポストモダン」より)されていく。抽象化の方向はスピリチュアルの世界でも同じで、異星人との精神的な交流「チャネリング」が流行する。これは超越的な宇宙意識などといったもので、超テクノロジーの産物であるUFOとは、むしろ真逆の存在であるといえる。

■他界への思い

21世紀の現在、UFOは時々世間を騒がす怪現象でしかなくなった。一部の団体は今も健在ではあるものの、UFOに他界を求める宗教としてのUFOを意識する人はほとんどいないといってよいと思われる。しかし神無き科学時代を迎えた人たちが、超科学的存在であるUFOにすがり宗教的存在に変容した事実は、人間がいかに他界を必要としているかを痛感する。この先どれほど宇宙や生命の謎が解明されても、人が死ぬまで生きる限り、彼岸の彼方の他界へ馳せる思いは絶えることはないだろう。

■参考資料

■木原善彦「UFOとポストモダン」平凡社新書(2006)
■ピーター・ブルックスミス「政府ファイルUFO全事件」並木書房(1998)

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