江戸時代「将軍」を輩出できず辛酸を舐め続けたエリート一族「尾張徳川家」の運命【その2】 (2/3ページ)
しかし、同じく御三家であった紀州徳川家の「徳川吉宗」との後継者争いに破れ、またしても自家からの将軍擁立は叶わなかった。
尾張徳川家には初代藩主義直の意向により”将軍職を争ってはならない“という暗黙の了解が存在していたとされ、藩を上げて継友の将軍位就任運動を行うことがなかったことも原因といわれている。
宗春(尾張徳川家)と吉宗(紀州徳川家)8代目徳川将軍の座についた紀州徳川家出身の吉宗。吉宗の将軍就任以降、紀州徳川家は栄華を極め、14代目の家茂まで7代を通して紀州家の血脈が将軍職を独占した。
この吉宗の将軍就任が尾張家と紀州家の運命を大きく変えてゆくことになる。
1730年、尾張徳川家では8代将軍吉宗と将軍職を争った6代藩主の継友が没し、弟の「徳川宗春」が7代目として尾張徳川家の藩主となる。