一度は使ってみたいプロレスの言霊 「つまらない話を聞くなよ。止まるわけないだろう!」発言者・馳浩 (1/2ページ)

週刊実話

 プロレス中継の中でも屈指の名場面として今も語り継がれるのが、1987年に放送された馳浩と山田邦子の絡みであろう。若手の馳に凄まれた山田がすっかりひるんでしまった様子を見て、「やっぱりプロレスラーは凄いんだ」「人気者だからってプロレスを舐めるな」と留飲を下げたファンは多かった。

 かつてアントニオ猪木は「プロレスに市民権を」と熱く語っていた。一部のプロレスファンだけが熱中するものではなく、広く一般からその価値を認められたいという意味である。

 ひるがえって令和のプロレス界を見てみると、会場には若い女性が集まり、テレビのバラエティー番組ではレスラーたちが人気タレントと並んで出演している。こうした状況をもって「市民権を得た」とも言えそうだが、では、これが猪木の望んだプロレス界の理想なのか? おそらく「決してそうではない」と昭和のファンは反発するだろう。

★プロレスファンが抱く選民思想

 新日本プロレスの旗揚げ当初に掲げた“キング・オブ・スポーツ”の言葉通り、プロレスがあらゆるスポーツの頂点に立ち、万人から尊敬を集めるような存在になることこそが、猪木の悲願でありロマンであった。

 だが、当時は他のスポーツやエンターテインメントと同列どころか、「ずっと価値の低いもの」とする声が主流だったために、まずは“市民権”という言葉を使ったのである。

 世間から低く見られた理由とは、言うまでもなく八百長の問題であった。

「なぜ、ロープに振った相手が戻ってくるのか」「相手の攻撃をあえて受けるのはなぜか」「そもそも勝敗は最初から決まっているのではないか」といった批判や疑問は、力道山の時代から幾度となく繰り返されてきたが、プロレス側から明確な回答がなされることはなかった。

 世間的には「厳格なルールが定められ、それにのっとって真剣に行われる」のが、まっとうな競技であると理解されている。そうした価値基準からすれば、反則が当たり前でパフォーマンスも過剰、余計なものが盛られまくったプロレスは、まったくもって「くだらない」ということになる。

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