「別れよう」が言えない...なら、新しい彼ができるまで惰性で付き合っていこう (2/2ページ)
でもきっと誰もが、自分という人間の中にある、見たくない気持ちを見なくてはならない。これは確実に言えることです。
ずるい恋をやっていれば仕方ないことでしょう。計算高く立ち振舞って、とにかく自分が傷つかないことを第一に考えているのだから当然です。
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でも、そういう自分の中の見たくない気持ちを、しっかりと見ることによって、人は恋愛を通して成長します。
成長した自分が、ふたりの男子と同時につきあっているという自分の行動をどう見るのか?あるいは好きではない男子と惰性や計算でつきあい続けている自分をどう見るのか?
これはそのときになってみないとわからないことです。神様みたいに、やっぱりひとりの男子と誠実に交際しないといけないと反省するのか、ひとりの男子と結婚して、もうひとりの男子と影でつきあい続けるのか・・・・・・こればかりは、そのときになってみないとわからないことです。
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別れてつらい思いをするのがイヤであれば、どんな手段を使ってでも別れなければいい。別れないで、自己満足とか自己愛というものが、本当はどういうものなのかを、考え続けるといい。それはときに別れよりもしんどいことですが、自分を傷つけ、愛する人を傷つけないと恋する気持ちに結論が出ない・・・・・・恋はそういう残酷な面もあわせ持っているものなのです。(ひとみしょう/ライター)
(ハウコレ編集部)