滅亡した主家再興に生涯を捧げ”山陰の麒麟児”と呼ばれた武将「山中幸盛」【その1】 (2/3ページ)
尼子家の宿敵、毛利家12代当主「毛利元就」(Wikipediaより)
宿敵・毛利軍との攻防尼子家は敵対関係にあった安芸国(あきのくに)の毛利氏と定期的に戦を構えていた。
幸盛が仕官した頃の尼子家は、1561年の尼子家当主「尼子晴久」の急死により次男の「義久」が家督を継いでいたが、毛利氏との和平交渉のもつれから勢力が崩壊しつつあった。
毛利氏に寝返る国人勢力が目立つ中、毛利家当主の「毛利元就(もうりもとなり)」は本格的に出雲への侵攻を開始する。
幸盛の奮闘と尼子家の滅亡1563年から64年にかけて尼子家は領土内に存在する「白鹿城」と「尾高城」が落城。これらの城は、島根半島と本拠地である「月山富田城(がっさんとだじょう)」の補給拠点として重要な要所であっため、尼子軍の戦力は大きく低下した。