豊臣秀吉の朝鮮出兵がモデル?中国の歴史小説『水滸後伝』に登場する強敵「關白」の奮戦ぶり

Japaaan

豊臣秀吉の朝鮮出兵がモデル?中国の歴史小説『水滸後伝』に登場する強敵「關白」の奮戦ぶり

貧しい農民から身を起こし、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)は、日本国だけでは飽き足らず、唐天竺(からてんじく。現:中国&インド)まで制服しようと李氏朝鮮へ出兵したものの、あえなく敗れてしまいます(文禄・慶長の役)。

しかし「東の海に浮かぶ小さな島国が、中華大陸に殴り込みをかけてきた」というインパクトは大きかったようで、秀吉をモデルにしたキャラクター(残念ながら悪役ですが)が創作されました。

秀吉がモデルとなった關白とは、いったいどんな人物のか?(イメージ)

今回はそんな一人、中国の歴史小説『水滸後伝(すいここうでん)』に登場する日本の武将・關白(グァン バイ。関白)を紹介したいと思います。

好漢たちと対決!日本人離れした豪傑・關白の奮戦

まず『水滸後伝』とは、明末清初(17世紀)の作家・陳忱(ちん しん)が中国四大奇書の一つ『水滸伝(すいこでん)』の続編として書いたスピンオフ作品です。

時は北宋王朝(建隆元960年~靖康二1127年)の末期、『水滸伝』本編で生き残った梁山泊(りょうざんぱく。現:中国山東省)の好漢たちが、北方より侵略する女真族(じょしん。金王朝)を撃退するべく戦いますが、ついに抗し得ず暹羅(シャム※)国へと渡り、その王となるまでのストーリーが描かれます。

(※)ここで言う暹羅とは現代におけるタイ王国の旧称ではなく、南海(台湾:澎湖諸島の向かい側)に浮かぶ架空の島国とされています。

關白が登場するのは『水滸後伝』の第35回「日本国に兵を借りて仲違いを生じ 青霓島に戦乱を巻き起こすこと(日本國借兵生釁 青霓島煽亂興師)」

大陸から好漢たちがやって来るまで、暹羅国の政治を好き勝手に壟断していた奸臣たちは、好漢たちを倒すため倭王に援軍を求めます。

好漢たちの前に現れた關白の軍勢(イメージ)。

暹羅国を征服する野望を持っていた倭王はこれを快諾、配下の關白に薩摩・大隅(現:鹿児島県)両国の兵一万を与え、三百隻の軍艦をもって暹羅へと進攻させました。

關白は本名不詳、武勇を誇る身の丈八尺(明王朝の一尺は約23cm≒約184cm)の豪傑で、白い象に騎乗する姿はちょっと日本人離れしていて、かつて皆から「猿」「禿げネズミ」などと呼ばれていた秀吉本人とは随分ギャップがあります。

そんな關白は黒鬼(ヘィグィ)と呼ばれる五百名の特殊部隊を率いており、彼らは昼夜ずっと海中で暮らし、獲った魚介類も生のまま食べてしまうようなワイルド集団。

自由自在に泳げるので、敵の船底に穴をあけ、沈めてやろうと仕掛けますが、元々梁山泊での水上生活に長けていた好漢たちによって、返り討ちとされてしまいます。

小細工が通用しないなら、と正々堂々奮戦した關白たちでしたが、最後は『水滸伝』シリーズのお約束・妖術によって退治されて(全員凍死して)しまったのでした。

(※余談ながら『水滸伝』シリーズでは、多くの戦いは妖術によってオチ=決着がついており、『水滸伝』本編では腕利きの妖術使いが戦線離脱してしまったことが、多くの仲間を失った原因として描かれています)

「敵ながら天晴れ」リスペクトの精神から生まれたキャラクター

象に騎乗して奮戦する身の丈八尺の豪傑……この日本人離れした關白のキャラクターは、もしかしたら同時代に実在の暹羅国(アユタヤ王朝)で活躍した日本人傭兵・山田長政(やまだ ながまさ)らの雄姿も影響しているのかも知れません。

日の丸の旗を押し立て、暹羅の地で活躍した山田長政たち。彼らもまた、志半ばにして散っていった。

「敵ながら天晴れ」

最後は敗れてしまった豊臣秀吉ですが、その身の程知らずとも言える壮大な野望は一種の痛快感を呼び、単に侵略者への憎悪だけでなく、死力を尽くして戦った相手へのリスペクトを引き出した結果、關白というキャラクターが生み出されたのではないでしょうか。

※参考:
寺尾善雄 抄訳『水滸後伝』秀英書房、2006年2月
水滸後傳/第35回

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「豊臣秀吉の朝鮮出兵がモデル?中国の歴史小説『水滸後伝』に登場する強敵「關白」の奮戦ぶり」のページです。デイリーニュースオンラインは、水滸後伝水滸伝豊臣秀吉カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧