神奈川県平塚市の語源は?この地で薨去したやんごとなき姫君のエピソード (3/4ページ)
平塚の塚と、大小の石碑(Wikipediaより。撮影:蝉の抜殻氏)
傍らには大小の石碑があり、平塚の塚について由来を紹介しています。
【碑文】桓武天皇孫高見王之女政子下東國天安元年二月二十五日薨因葬墳此塚也
【意訳】桓武天皇の孫で高見王の娘である政子(原文ママ)は東国へ下る途中、天安元857年2月25日に薨去。葬られたのがこの塚である。
これだけ見ると「へー、そうなんだ」で終わりそうですが、ちょっと調べると疑問が生じるので、その辺りも少し掘り下げてみようと思います。
眞砂子姫の兄・平高望が上総介(現:千葉県中部の国司)を拝命し、現地に赴任したのが昌泰元898年。一方で、眞砂子姫が東国に下ったのは天安元857年……。
「アンタ(眞砂子)、何しに行ったん?」
兄がまだ上総介に任じられない内から41年もフライング。身内が誰もいない(筈の)東国に、姫君がわざわざ一人で訪ねていく理由とは何でしょうか。