真夏の「キャンギャル」55年ヒストリー<マリアン>高校生でスカウトされて資生堂の広告塔に (1/2ページ)
竹内まりやの「不思議なピーチパイ」をバックに、ハーフの美少女が鮮烈にデビュー。80年春の資生堂キャンペーンを飾った妖精・マリアン(58)のことである。
──このところ次女のAmi(25)がバラエティー番組に出まくっていますね。
マリアン Amiのマネージメントは私がやっていて、「インスタグラムを始めたら」って勧めたの。今7万人くらいのフォロワーがいる。
──お嬢さんの美貌もさることながら、胸元がグラマラスで。さて、ご自身がキャンギャルとしてデビューしたきっかけは?
マリアン 15歳当時はロスに住んでいて、九州を旅行してたらスカウトされて。ただ、学校もあるのでお断りしたの。それから2年もお中元やお歳暮や、名産の「こけし」が送られてきて(笑)。79年の夏に2週間の予定で日本に来て、いったんロスに帰ったけど「やっぱり日本に行こう!」と思ったわ。それで資生堂でのデビューも決まったの。
──この時は「メアリー岩本」という名前でした。
マリアン 本名はマリアン・レーコ・パットンなんだけど、マネージャーに「パットンはなじみにくい」と言われて。それでマリアンをメアリーにして、母方の岩本姓をくっつけたの。
──デビューしたら、忙しさも一気に押し寄せましたか。
マリアン CMの撮影に2カ月、ポスターなどの撮影に1カ月、それが世に流れたら、そこからキャンペーンね。もうホントに全国のデパートを回ったと思う。事務所があった表参道を歩くと、あちこちに私の等身大の看板が置いてあるの。
──世界が変わりますね。
マリアン モデルにはなりたいと思ったけど、決して「有名人」になりたかったわけではないのね。でも、こうやって顔と名前は知られていくんだなって思った。
──翌81年にも同じ資生堂で「ひかりとパラソル」のキャンペーンに抜擢。