歴代総理の胆力「鳩山由紀夫」(1)「鳩山の顔が見えない」「司令塔はどこなのか」 (1/2ページ)

アサ芸プラス

歴代総理の胆力「鳩山由紀夫」(1)「鳩山の顔が見えない」「司令塔はどこなのか」

 戦後政治の大半を担ってきた自民党が政権交代を余儀なくされ、民主党代表だった「名門」鳩山家御曹司の鳩山由紀夫がトップリーダー、総理大臣のイスにすわった。平成21(2009)年9月、鳩山62歳であった。長い自民党政治に飽き、「新風」を期待した国民は、実に70%の支持を与えたのだった。

 民主党は政権交代を果たす前、すでにマニフェスト(政権公約)を掲げていた。自民党政治とは一変した「政治主導による脱・官僚」「行政の無駄の排除」が、二枚看板であった。鳩山自身も「2期4年(当時)党代表、総理を続け、なんとかマニフェストを実現させる」と意気込んだ。しかし、政権発足から3カ月も経つと、世論の風向きは大きく変わり始めるのだった。

 鳩山は国会答弁、メディア対応でも「国民が向こうにいる」との思いで低姿勢に徹し、育ちの良さも手伝ってか自ら強いリーダーシップで臨まず、閣僚、党役員たちの自主性を買うというガバナンスで臨んだことが裏目に出たようだった。特に「国家戦略担当相」とした権力欲の強い「イラ菅」こと菅直人がより“自主性”を強め、「新内閣の弾薬庫」とまで言われ出したのだった。

 一方で、民主党の幹事長とした小沢一郎が強引な党運営をやったことであちこちにハレーションを起こし、「鳩山の顔が見えない」「司令塔はどこなのか」といったリーダーシップ欠如として受け取られたのだった。そうした中で、他の閣僚にも勝手な発言、動きをする者が続出したのである。

 そうした中で、高い支持を受けていた行政の無駄を排除すると閣僚の新設ポストまでつくった「事業仕分け」も、「議員の特権にメスも入れずの“お手盛り”ではないか」の声も出始めてすっかり人気を落とし、12月に入ると早くも「年内の退陣に追い込まれるかも」の声が党内外から出るといった具合だった。

 こうした年内退陣説が出た背景は、小沢幹事長との確執でイヤになった藤井裕久財務相が辞任してしまい、菅が国家戦略担当相から副総理兼として財務相の後釜にすわったことが大きかった。シタタカな菅は小沢に接近、このポストを手に入れたともっぱらで、ここで『ポスト鳩山』は菅が先頭に出たとの声も出始めたのである。

「歴代総理の胆力「鳩山由紀夫」(1)「鳩山の顔が見えない」「司令塔はどこなのか」」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2020年 8/6号内閣総理大臣小林吉弥菅直人小沢一郎社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧