巨人・澤村「三軍降格」はまだ甘い!? 四軍に突き落とされた投手が見た“地獄” (2/2ページ)
どこの球団もそうでしたが、選手が増えたことによって、二軍や三軍の試合にも出られないケースが続出。独立リーグや社会人チームとの練習試合を増やすことで対処しましたが、それでも“実戦不足”が問題視されました。そこでイースタンの連合チームに選手を派遣することもあったのですが、これが四軍の扱いと言われたものです。また、中日が最下位に沈んだ1997年のシーズンでは星野仙一監督(当時・故人)が、オープン戦で結果を残せなかったドラ1投手に『お前なんか知らん! 一人で練習しろ』と激怒。その選手は三軍の練習が終わった夕方頃に屋内練習場に行って、コーチやトレーナーもつかない状況で、一人で黙々と汗を流したそうです。この状況を当時のスポーツ紙は『四軍降格』と書き立てたものです。ただ、その投手は30代半ばまで現役を続け、在京球団のコーチにも就任。“愛のムチ”はけっして無駄ではなかったと信じたいですね」(前出・スポーツ紙記者)
三軍降格が伝えられた澤村はまだ32歳。この思い切った豪腕再生計画は吉と出るか、阿部二軍監督の手腕もまた試されようとしている。
(渡辺俊哉)