軍神「上杉謙信」の後継を巡って争った2人の養子「景勝」と「景虎」の雌雄【後編】 (1/2ページ)

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軍神「上杉謙信」の後継を巡って争った2人の養子「景勝」と「景虎」の雌雄【後編】

1578年3月に上杉家当主・上杉謙信がこの世を去ると、養子である2人の息子「景勝」「景虎」の間で、上杉家当主の座を巡る後継者争いが勃発した。今回は、前回に引き続き、上杉家の御家騒動「御館の乱」を探っていく。

前回の記事

軍神「上杉謙信」の後継を巡って争った2人の養子「景勝」と「景虎」の雌雄【前編】

御館の乱の始まり

謙信の死後、先手を取ったのは景勝陣営であった。景虎派有力武将の暗殺を契機に、春日山城本丸を占拠。いち早く上杉家の資金や兵器類を接収し、経済と軍事の要を牛耳った。景勝側の勢力は、直江一族など上杉家や長尾家古参の武将や家臣が多く味方した。

上杉景勝の肖像画

一方、先手を取られた景虎陣営は、三の丸に立て篭りこれを迎え撃った。景虎側の勢力は、主に関東管領・上杉一門衆や血族である北条家、同盟国であった武田家など国外の後ろ盾が目立った。

景虎有利な戦況

本丸を占拠し、いち早く行動に出た景勝勢であったが、5月になって景虎が三の丸を脱出し御館に移ると戦況が傾き始める。

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